のつづき
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吉方位から取り寄せた文献はその道の専門書で、前提知識が無いと読み解けない部分も多かった。
そのため、著者の書籍をすべて購入することにした。
一般的な書店では取り扱っていなかったため直接著者から購入することになったが、後に分かったことは、著者の理論で見ると、自分の自宅から見て発送元の著者の自宅もまた、その月の吉神が巡る吉方位だった。
この手の専門書は一般的な本に比べて高価である。
以前購入したものでは、その稀少価値から5万円以上する家相の本もあるが、秘伝なのか所々伏せられてるところがあるためまだ読み解けていない。
今回は著者以外の関連する書籍と思われるものも併せて、結果的に総額10万円以上分購入することになった。
そこで提唱されている理論は、以前自分が方位鑑定士講座で学んだものとは干支の使い方がかなり異なるものだったため、最初は戸惑いがあった。
また、これまで聞いたことがないような複雑かつ高度な使い方には驚いた。
その根拠とするものは1700年前まで遡る古代中国の原書にある。
取り寄せた文献によると、元々、それらの占いは天皇家のもので、
それをやっていたのが、あの陰陽師で有名な安倍晴明が中心だったが、
室町時代中期に、その末裔である土御門家に引き継がれたのだという。
我が国運命学の始祖 安倍晴明
「土御門家」というキーワードを目にして思い出したことは、
昨年千葉へ転居して間もなかった頃に、たまたま仕事で車を停めた目の前にあって参拝した太上神社のことだった。
建立されたばかりの小さな神社だったが、参拝を終えて鳥居を出た瞬間に、
目の前を黒いアゲハ蝶がスーッと道の奥の方へ飛んで行った。
後に知ることになったのは、その神社は陰陽道宗家の土御門家の流れを汲む神社で、
土御門家の家紋がアゲハ蝶だったということだった。
<参考>
戦後に土御門家にあった邸内社が、千葉の検見川神社近くに移築されて、
それが令和の時代に入って、千葉市内に再度移築・再興されたようだった。
検見川神社は自分の家から10分もかからない近所で、去年引っ越して最初に参拝したが、
その際に境内でつがいの黒いアゲハ蝶を目撃した。
お盆の時期だったし、土御門家の御霊だったんだろうか。
検見川神社は八方除総鎮護という方位と縁の深い神社だった。
また、自宅からこの検見川神社と180°反対の方向にある八幡系の神社には、干支を表していると見られる十二方位に区分された方位円があるのも印象的だった。
これらの出来事については、かつて占い・天文・時・暦の編纂などを担っていた公的な官職だった「陰陽師」が、明治期に暦を西洋暦に合わせるために廃止され、また陰陽道自体も迷信として禁止された経緯とともに、以前動画とブログ記事にアップした。
<参考>
ライオンズゲートと瀬織津姫と黒アゲハ蝶 - YouTube
特に暦は世界の覇権を握る上で重要視されていた。
この辺りの経緯や、陰陽師、土御門家については以下の動画が参考になる
<参考>
この動画では、日本において暦を初めて導入した時から長きに渡って使用し続けてきた太陰太陽暦を廃止し、
明治6年から太陽暦であるグレゴリオ暦を採用した経緯など、時間の世界基準がカトリックの太陽暦となったことに触れられている。
また、アメリカの政治経済に大きな影響力を持っていることで知られるロックフェラー家は、土星を重要視していたという。
土星の崇拝において重要な役割を果たしているのがブラックキューブというもので、
世界各地に立方体の構造物が知恵の象徴として建てられており、
イスラム教の聖地ではkaabaとして崇められている。
そして、土星の北極圏には謎の六角形が刻まれており、これが頂点から見たブラックキューブや、六芒星につながると考察されている。
六芒星といえば、ユダヤ教の象徴でありダビデの星とも言われている。
入手した方位の文献の中に、土に関連する星を使うと億のお金が入るという手法が紹介されており、それらとの関連性も気になった。
これに対して五芒星は、晴明桔梗やペンタグラムとしても知られるが、世界中で魔除けとして使われた。
日本でも三重県志摩地方の海女が魔除けとして身につけたことでも有名である。
時間の概念として、1時間を60分とする「六十進法」が用いられるが、
これは元々天文学で星の運行などを計算する時に用いられていたものだったが、
この「六十進法」は、土星(公転周期が30年)と木星(公転周期が12年)から導かれたと言われている。
(30と12の最小公倍数が60となる)
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