宇宙の法則の研究と実践

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11.大病人が吉方を用いて治癒した実例 -「方鑒家相要義」より

 

今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。

 

大病人吉方を用ひ平癒せし實例

 

浦邊東涯鑑定

 

大正二年生 癸丑六白命男兒

 

大正八年新曆五月立夏の節巳二黒月の二十六日に、右の男兒急に腹部の病気に罹り醫薬に手を載せしも効顕なく、父母は大に心配して予の許に來り、病気の鑑定を請ふ。

 

依て予は詳細調査せしに、大正二年(1913年)癸丑六白年の新曆四月二日春分の節卯四緑月(四月二日は節変り前なるを以て前月に當る)に辰巳へ假移轉し、同年新曆七月大暑の節未九紫月に本宅へ復帰せり。

 

此の假移轉か年の五黄殺、月の暗剣殺を犯したるを以て、家族は皆病難其他の災に罹るのである。

尚又當時診察を受け居る醫師の方位が未申に當る。此月は巳の二墨月にして未申は暗剣殺である。

かかる凶方の醫師にては醫薬の効顕なきのみならず却て災となるから、吉方の病院へ早速入院すべし、然れば必ず平癒すると申せしに、父母は予の鑑定に感じ予の示す方位に基き實行せんとの請ひに依り、
同月三十一日巳の方の病院に入院治療せしめしに、翌六月八日に至り入院後僅か九日間にして、其大病人全く平癒して退院し、其後健康體である。

 

註に曰く、病人に對する醫師の方位の如きは、年家に重きを置かず、月家に重きを置くべきである。

故に此の病人は、年家に於ては未年に巳の方は何等系線の関係なく天地と没交渉なるも、月に於ては巳の月に巳の方は盛気である。

殊に丑の六白命の人が巳の月に巳の方を用しは、本人の地支と用ひたる時と其方位が皆地支の三合の系線に関係し大吉方なるを以て、如此大病人も僅か九日間にして全快したのである。

 

以下、現代語訳。

 

大病人が吉方を用いて治癒した実例

 

浦邊東涯鑑定

 

大正二年(1913年)生 癸丑六白命男兒

 


大正8年(1919年)新暦5月、立夏の節、巳二黒月の26日に、右の男児が急に腹部の病気に罹り、医薬に手を載せても効果が現れず、父母は大いに心配して私のところにやってきて病気の診断を求めた。

 

よって私は詳細な調査を行ったところ、大正2年(1913年)の癸丑六白年の新暦4月2日春分の節、卯四緑月(4月2日は節変わり前であるため前月にあたる)に、辰巳(南東)へ仮移転をし、同年新暦7月大暑の節に未九紫月に本宅に復帰していた。

 

この仮移転が年の五黄殺、月の暗剣殺を犯したことをもって、家族は皆病難その他の災に罹るのである。

 

なお、また当時(1919年)に受けていた医師の方位が未申に当たる。
この月は巳の二黒月であり、未申は暗剣殺である。

 

このような凶方の医師には、医薬が効かないだけでなく、かえって災となるから、吉方の病院に早急に入院すべきであり、そうすれば必ず平癒できると述べたところ、父母は私の鑑定に信頼を寄せ、私が示した方位に基づいて実行したいと求めたため、
同月31日に、巳の方の病院に入院治療を受け、翌6月8日に至り入院後たったの9日間にして、その大病人は完全に平癒して退院し、その後健康体である。

 

註によれば、病人に対する医師の方位のようなものは、年家に重きを置かず、月家重きを置くべきである。
故にこの病人は、年家においては未年に巳の方は何ら系線の関係がなく、天地との交渉がないものの、月においては巳の月に巳の方は盛気である
特に、丑の六白命の人が巳の月に巳の方を用いるのは、本人の地支と用いる時とその方位がすべて地支の三合の系線に関係し大吉方であることをもって、このような病人も僅か9日間で全快したのである。

 

 

・病気の原因となった移転

まず最初に病気の原因となったとされる移転について。

1913年3月節に南東に仮移転し、同年7月に自宅へ戻っている。

 

仮移転の方位は以下のとおり。

1913年3月の方位盤

巽宮(南東)

年盤:辛酉 五黄殺
月盤:癸亥 三碧木星 暗剣殺 歳徳合 天徳合 歳馬 駅馬

 

自宅へ戻った際の方位は以下のとおり。

1913年7月の方位盤

乾宮(北西)

年盤:甲寅 七赤金星 暗剣殺
月盤:庚申 一白水星

 

3月の南西の暗剣殺は吉神である程度制化できていると考えても、やはり年盤の巽乾の五黄殺暗剣殺の往復は凶意が大きいと思われる。
1913年に生まれた年に方位を用いているが、腹部の病気になった1919年はその七年目で、年盤の凶事象の出る時期とも一致する。
(月盤の暗剣殺の作用ならもっと早く事象が出ているのではないかと思われる)

 

 

・当時治療を受けていた医師の方位

1919年の巳の二黒月(5月節)に未申(西南)の方位の医師の治療を受けるも、暗剣殺だったとのこと。

1919年5月の方位盤

坤(南西)

年盤:乙丑 六白金星
月盤:乙亥 八白土星 暗剣殺

 

治療を受けている医師の方位が悪く、医薬も効かずに災いになると伝え、同月中に吉方の医師に変えたとのこと。

 

 

・吉方位の医師の方位

1919年5月に巳の方(南東)の病院へ入院治療を受ける。

方位盤は上記と同じで、

 

巽宮(南東)

年盤:丁卯 八白土星 命禄
月盤:丁丑 一白水星 地支本命殺


翌6月8日に至り、入院後たったの9日間にして完全に平癒して退院。
その後健康体であるとしている。

 

男児は六白命なので、年月の八白と一白はいずれも相生。

丑命で月盤丑廻座なので、郭氏元経の地支本命殺だが、やはりこれも凶事象が出なかった模様。

未年に巳ノ方は、中宮支の未から数えて十一目で「何ら系線の関係がなく、天地との交渉がない」が、
「病人に対する医師の方位のようなものは、年家に重きを置かず、月家重きを置くべき」としている。

そして、「丑の六白命が巳の月に巳の方を用いるのは、本人の地支と用いる時とその方位がすべて地支の三合の系線(巳酉丑の三合金局)に関係し大吉方である」としている。

その月の中宮支の定位の方位は月建であり、勢いの強い方位とみる。