今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。
吉方に移轉造作し開運せし實例
浦邊東涯鑑定
明治二十年生(1887年)丁亥五黄命女
大正七(1918年)戊午一白年新曆二月立春の節寅八白月に戌亥に轉居し、某業を新規開店し、
同年新曆五月立夏の節巳の五黄月に酉の方を増築し、
同年新暦白露節十月戌九紫月の十日に西に假移轉し、
同年新曆十一月立冬の節亥八白月の下旬、移轉先より東に當る本宅を大に増築し、
同月中に落成移轉せしめた。
其後家業大に繁昌し好運多福の身となれり。
註に曰く、此の婦人の移轉せるは、大正七戊午一白年新曆二月寅の八白月に戌亥を用ひたのである。
此れ午年に戌の方は寅午戌の三合線にして、天徳に當る寅の月に戌の方は是れ又寅午戌の三合線に當り吉方である。又同年新曆五月立夏の前已五黄月に酉の方は巳酉丑の三合の系線に當り、天德坐し吉方にして、又兌(西)の方は婦人の宮であるから、女主人として商売を為すには尤も適當である。
叉同年新曆十一月立冬の節亥八白月に亥の五貫の人が東方を増築せしに、
午年に於ては卯の方は四ッ目の親の系線に當り吉である。又月に於ては亥の月に卯方を増築せしは亥卯未の三合線に當り、殊に亥年の人が亥の月に卯の方は大吉方である。
而して同月は東方に六白の天道廻泊す。易に六白を金とし、東方三碧を震とし活動とするを以て、商業は層一層繁昌し金運あり幸福となりたるのである。
以下、現代語訳。
吉方に移転造作して開運した実例
浦邊東涯鑑定
明治20年生(1887年)丁亥 五黄命 女
大正7年(1918年)に、戊午一白年、新暦2月立春の節、寅八白月に戌亥(北西)に転居し、ある業種で新規開店し、
同年新暦白露の節10月戌九紫月の10日に西に仮移転し、
同年新暦11月立冬の節、亥八白月の下旬に、移転先から東にあたる本宅を大幅に増築し、同月中に完成移転させた。
その後、家業は大いに繁盛し、幸運多福の身となった。
註によると、この女性が移転したのは、大正7年(1918年)戊午一白年、新暦2月寅の八白月に戌亥(北西)を用いたのである。
これは午年に戌の方は寅午戌の三合線であり、天徳にあたる寅の月に戌の方はまた寅午戌の三合線にあたり吉方である。また同年新暦5月立夏の節、巳五黄月に酉の方は、巳酉丑の三合の系線にあたり、天徳に坐す吉方であり、また兌(西)の方は女性の宮であるため、女主人として商売をするには最も適当である。
また同年新暦11月、立冬の節亥八白月に、亥の五黄の人が東方を増築し、午年においては卯の方は四つ目の親の系線にあたり吉である。
また月においては亥の月に卯の方を増築したことは、亥卯未の三合線にあたり、特に亥年の人が亥の月に卯の方を大吉方である。
そして同月は東方に六白の天道が巡る。易に、六白は金とし、東方三碧を震として活動とするのをもって、商業は一層繁盛し、金運があり幸福になったのである。
上記は、吉方に移転してある事業を始めて、増築や仮移転を経て開運した事例。
移転と増築について順番に見ていくと、
・転居と新規開店の方位
1918年2月に北西に転居し、事業を新規開店。
乾宮(北西)
年盤:己未 二黒土星
月盤:乙卯 九紫火星
五黄命なので年月盤の二黒と九紫は比和と相生。
亥命なので、年月盤と合わせて亥卯未の三合木局。
年盤は中宮支から数えて五つ目の宮。
午年に戌ノ方も、寅月に戌ノ方も、三合線(寅午戌の三合火局)の宮なので吉となる。
・一回目の増築
1918年5月に、酉ノ方を増築。
兌宮(西)
年盤:庚申 三碧木星 陽貴
月盤:己未 七赤金星 天徳 月徳 陰貴人
五黄命なので年盤三碧は剋だが、月盤七赤は相生。
月盤は中宮支から数えて五つ目の宮。
月盤の吉を狙ったと思われる。
・仮移転
1918年10月10日に、西に仮移転。
兌宮(西)
年盤:庚申 三碧木星 陽貴
月盤:甲子 二黒土星 天徳合 月徳合
亥命にとって年盤申は支害であるため小凶だが、1ヶ月程度の仮移転なので月盤くらいまでの作用と考える。
五黄命にとって月盤二黒は比和。
亥命なので、もし生まれ月か日に戌があれば酉戌亥子の四支並びとなるが、生年以外不明。
中宮支から見て十二目の宮で力の弱い宮。
おそらく方位を取るためというより、翌月の大幅な増築のための移転だったと思われる。
・大幅な増築、完成移転。
1918年11月、大幅な増築が完成し、東に移転。
震宮(東)
年盤:乙丑 八白土星
月盤:庚午 六白金星 天徳 月徳 陰貴
1ヶ月の仮移転からの移転であるため月盤の作用のみと考えると、六白は相生。
月盤は中宮支から見て五つ目の十二支の宮。