宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

9.長い間逆境であったのを吉方を用いて好運となった実例 -「方鑒家相要義」より

今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。

 

永年逆境なりしを吉方を用ひ好運となりたる實例

 

湖邊東涯鑑定

 

宅主 慶應元年四月廿六日生 丑九紫命
妻 慶應元年二月六日生 丑九紫命

 

此夫婦十數年前は東京市内に於て盛んに商業を為し裕福でありしが、一朝不運の風に吹かれ永年逆境なりし。

 

或る時予の許に來り開運の道を間へり。
依て予は運命を開拓し好運多福の身となるには方鑒家相の道に若くものはないと、懇ろに教示し、
大正七(1918年)戊午一白年の立春の節新曆二月寅八白月に東方に家屋を買入れ、

同年清明新曆四月の節辰六白月に先きに買求め置たる東方の釜屋(其家の辰巳の方に當る所を)増築し、其月中に移轉し、

同年立秋の節新暦八月中二黒月に其家の戌亥の方、同年白露の節新曆九月酉一白月に西の方を両月に渉り増築せしめた。

 

其後家運挽廻し順潮に向び職業大に繁昌せり。

 

註に曰く、家屋を買入れたる大正七(1918年)戊午一白年に東卯の方は午より四ッ目の系線に當り吉方であるが移轉せし、
同年新四月辰六白月東(卯)の方は空亡にて、只九紫の人が四緑の廻座せる生氣に向ひたるのみにして、大吉方ならざるも、
移轉後同年新曆八月申二黒月に戌亥の方は四ッ目の親子の系線にして、
同年新曆九月酉一白月に西の方は、午年に酉の方は親子の四ッ目の系線に當り、月に於ては西の月に酉の方は盛気の方にして、西方には年月共に三碧廻座し九常命の人には生気である。

 

殊に丑の九紫命が酉の方は巳酉丑の三合の系線にして吉方である。
易に三碧を震とし帝は震に出づと云ふて新規活動となす。
又易に兌に説言すと云い説びの所で又兌の七赤は通用金である如上の開係と理由あるを以て、此の方徳に依り、逆境の身も順境と為り業務大に繁昌し好運となりたるのである。

 

 

以下、現代語訳。

 

長い間逆境であったのを吉方を用いて好運となった実例

 

湖邊東涯鑑定

 

宅主 慶應元年(1865年・乙丑)4月26日生 丑九紫命
妻 慶應元年(1865年・乙丑)2月6日生 丑九紫命

 

この夫婦は十数年前は東京市内で繁盛な商業を営み、裕福であったが、ある朝突然不運な出来事に見舞われ、長い間逆境になった。

 

ある時、彼らは私のもとを訪れ、開運の道を尋ねた。
よって私は、運命を切り開き幸運と繁栄の身となるには、方鑑家相の道に及ぶものはないと丁寧に説明し、

大正7年(1918年)、戊午一白年の立春の節、新暦2月寅八白月に、東方に家を購入し、
同年清明新暦4月の節、辰六白月に、先に買い求めておいた東方の釜屋(その家の辰巳・南東の方に当たる所を)増築し、その月中に移転し、
同年の立秋の節、新暦8月中二黒月に、その家の戌亥の方(北西)、同年白露の節、新暦9月酉一白月に西の方を両月に渡って増築させた。

 

その後、家運が挽回し順調に向かい、仕事も大いに繁盛するようになった。

 

註によれば、家屋を購入した大正7年(1918年)戊午一白年に、東卯の方角は午より四つ目の系線にあたり、吉方であったが移転せず、

同年の新暦4月、辰六白月において、東(卯)の方角は空亡であり、ただ九紫の人が四緑が廻座する生気に向かうだけで、大吉方にはならないが、
移転後、同年新暦8月の申二黒月に戌亥の方は、四つ目の親子の系線であり、
同年新暦九月の酉一白月に西の方は、午年において酉の方は親子の四つ目の系線にあたり、月においては酉の月に酉の方は盛気の方であり、西方には年月ともに三碧が廻座し、九紫命の人には生気である。

 

特に丑の九紫命が酉の方は巳酉丑の三合の系線であり吉方である。

易において、三碧を震とし、帝は震に出ると言って、新たな活動とされている。
また易において兌に言及すると、先に説明したように、兌の七赤は通用金であるとされ、上記のような関係性や理由があることを指す。
これらの法則や理由に基づき、逆境にあった状況も順境に変わり、業務が大いに繁昌し、好運に恵まれるようになったのである。

 

上記は、十数年前まで商売繁盛して裕福であったが、ある時を境にして長い間逆境になったという事例。

吉方での家の購入や増改築を経て開運したという。

 

順番に用いた方位を見ていく。

 

・自宅の購入

1918年2月、東方に自宅を購入。

1918年2月の方位盤

震宮(東)

年盤:乙丑 八白土星
月盤:辛酉 六白金星 干支定位対冲

 

購入しただけで移転はしていないので、この時点で方位の作用があるかは不明。

 

・増築し、移転

購入した自宅の南東部分を増築し、その月中に移転したとある。

東に移転したので、その方位を見てみると、

1918年2月の方位盤

震宮(東)

年盤:乙丑 八白土星
月盤:癸亥 四緑木星 歳徳合 陽貴

 

宅主も妻も九紫命なので、年月の八白と四緑は相生。
しかし年盤の乙丑は、干支九星や郭氏元経で言うところの干支本命殺。

 

ちなみに東卯の方角は午より四つ目の系線にあたるとしているが、実際は四つ目ではなく十目。

 

南東を増築したとのことなので、その方位も見てみると、

 

巽宮(南東)

年盤:丙寅 九紫火星
月盤:甲子 五黄殺

 

本命九紫が年盤で九紫廻座、月盤で五黄殺の方位を用いているため全く吉方とは思えないが、増築してから移転した場合はその影響は受けないと思われる。
(なぜこの事例で南東の増築について触れているのかは不明)

 

・2、3回目の増築

同年8月に戌亥の方(北西)、9月に西の方を増築。

 

8月の方位盤は以下のとおり。

1918年8月の方位盤

乾宮(北西)

年盤:己未 二黒土星
月盤:辛酉 三碧木星

 

年月の二黒、三碧は、九紫命からすると相生だが、
乾宮の対冲の巽宮に九紫が巡るため、九星の本命的殺方位となる。
(さらに陰陽方位便覧の干支本命的殺方位でもある)

この増築を何故したのか疑問がある。
事例では開運したことになっているが、作用が出るのが遅い年盤での影響と思われるため、長期的な影響まで見ているか不明。

 

9月の方位盤は以下のとおり。

1918年9月の方位盤

兌宮(西)

年盤:庚申 三碧木星 陽貴
月盤:癸亥 三碧木星 歳徳合 月徳 陽貴

 

九紫命にとって年月の三碧は相生。

年盤の兌宮の対冲の震宮には本命の乙丑が巡る(これも厳密には年盤なのでその影響を長期的に見ているかは不明ではある)。

 

年盤の影響は数年単位で見ていく必要があるため、鑑定した直後の事象だけを見て安易に判断できない部分がある。

その点で、特に現代において客観的に確認が可能な著名人の事例などを参考にして検証する必要があるのではないかと思う。