宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

8.方位によって非運を挽回し好運になった実例 -「方鑒家相要義」より

 

今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。

 

方位に依り非運を挽廻し好運となりたる實例

 

荒井未達鑑定

 

宅主 明治四辛未年二月廿九日生 三碧命
妻 明治七甲戌年五月廿八日生 九紫命

 

此の未の三碧の男子が明治廿四辛未一白年新曆四月三日春分の節卯七赤月に(節変り前であるから前月に当る)前記戊九紫命の婦人を戌亥より辰巳に當り妻に迎へたり。

 

結婚當時親より四十餘萬圓の財産を譲り受けしも、結婚後不運にして諸事失敗に終り、巨萬の富も年々損失を来たせし為め、大正二年には殆と破産を為し、先祖傳來の家宅迄人に譲り、横通りの矮屋に同居するの非境に陥りたるのである。

 

然るに大正四年六月廿日右の主人予の許に来り運命の鑑定を請ふ。
依て予は此の夫婦の結婚當時より取調べたるに、此の夫婦の結婚は前記の如く明治廿四辛未一白年の四月三日卯七赤月に、妻女が戌亥より辰巳へ向って婚嫁したのである。
一白年は辰巳に九紫座して居るから、妻女の本命殺を犯し、卯の七赤月は辰巳に六白廻座して居るから剋罰を犯したのである。

 

而して良人の三碧命は年盤にて兌宮に座し歳破を持ち、妻女の九紫命は卯の七赤、月には兌宮に座して居る。
即ち良人の三碧命と妻女の九紫命は、年月にて兌宮に同座せるは心身合體し縁が深いが、九紫は其月に暗剣と月破を持ち居る。如此結婚は災の結婚である。
如何となれば、年の暗剣月の剋罰を犯し加之其當時良人の三碧命は歳破を持ち、妻女の九紫命は暗剣月破を持ち居るから、此れが爲めに災禍を招く。
即ち結婚當時に本人の本命星に歳破月破暗剣等を持ち居れば、必ず破敗損失の災害を招くことになるから、貴殿の申す通り先祖の遺産全部を損失し、其上借財を造りたるのである。

 

此の非運不幸を挽廻し好運多福の身となるには、吉方に轉居し吉相なる家宅に住するより道はないから、方鑑の道に據(よ)るべきことを懇々示せしに、其主人なるもの是非御示教に基き吉方に移轉せんとのことであるから、

大正四乙卯四緑年(1915年)新暦六月夏至の節午四緑月に、未申の一白坐せる方へ轉居せしめ、
更に大正五年丙辰三碧年(1916年)新曆十二月子の七赤月(四緑月では?)に主人を未申、移轉せしめ、妻女に主人移轉先きの家より南に當る處へ移轉せしめ、

大正六年(1917年)二月一日に右夫婦は假住所より各々北に當る處へ同時に移轉せしめた。
其後家運益々隆盛にして業務繁昌し四年間に数萬圓の富を得たり。

 

以下、現代語訳。

 

方位によって非運を挽回し好運になった実例 

 

荒井未達鑑定

 

宅主 明治4年辛未年2月29日生 三碧命
妻 明治7年甲戌年5月28日生 九紫命

 

この未の三碧の男性が、明治24年の辛未(辛卯の間違い)一白年(1891年)の新暦4月3日、春分の節、卯の七赤月に(節変わり前であるから前月に当たる)、前述の戌九紫の女性を戌亥(北西)より辰巳(南東)にあたって妻に迎えた。

 

結婚当時、親から四十数万円の財産を受け継いだが、結婚後は不運が続き、さまざまな事で失敗し、莫大な富も年々減少していったため、大正2年にはほぼ破産状態になり、先祖から継がれた家まで他人に譲渡し、横通りの小さな家に住む有様に陥ってしまったのである。

 

大正4年6月20日になり、夫婦は私のもとにやってきて、運命の鑑定を依頼した。
私は夫婦の結婚について詳しく調べると、結婚は前述の通り、明治24年の辛未(誤りで実際は辛卯)一白年(1891年)の4月3日の卯の七赤月に、妻女が戌亥(北西)より辰巳(南東)へ向かって嫁いだのである。
一白年は辰巳(南東)に九紫が座しているため、妻は本命殺を犯し、卯の七赤月は辰巳(南東)に六白廻座しているため、剋罰を犯したのである。

 

そして、夫の三碧命は年盤で兌宮に座し歳破を持ち、妻の九紫命は卯の七赤月には兌宮に座している。
すなわち夫の三碧命と妻の九紫命は、年と月で兌宮に同座しているため、心身が合体し縁が深いが、九紫命はその月に暗剣と月破を持っている。
この結婚は災いの結婚である。

このような状況から、年の暗剣、月の剋罰を犯し、それに加えて当時の夫の三碧命は歳破を持ち、妻の九紫命が暗剣月破を持っているため、これが原因で災厄を招く。

すなわち、結婚当時に本人の本命星に歳破、月破、暗剣などを持っていれば、必ず破財損失の災厄を招くことになるから、貴殿が述べる通り先祖からの遺産をすべて失い、それに加えて借金を作ったのである。

 

この非運不幸な状況を挽回し、好運で多福な身となるには、吉方に転居し吉相の家宅に住むより道はないから、方鑑の道に依るべきことを丁寧に説明し、その主人もぜひその教示に基づき吉方に移転したいとのことであるから、

大正4年(1915年)乙卯四緑年、新暦6月夏至の節、午四緑月に、未申の一白が座する方位へ転居させ、

更に大正5年(1916年)丙辰三碧年、新暦12月子の七赤月(四緑月の誤り)に、主人を未申(南西)の方向に移動させ、妻に主人の移動先の家より南に位置する場所に移転させ、

大正6年(1917年)2月1日に、夫婦で仮住まいからそれぞれ北に位置する場所へ同時に移転させた。

 

その後、家庭運がますます隆盛になり、仕事も繁盛して、4年間で数万円の富を得ることになった。

 

 

・妻が嫁いだ方位

1891年3月節に、妻が南東へ嫁いだ。

1891年3月節の方位盤

巽宮(南東)

年盤:己亥 九紫火星
月盤:己亥 六白金星

 

妻は九紫命なので、年盤は九紫の本命殺、月盤は六白で火剋金の剋罰を犯したとある。

文中では触れられていないが、年月ともに亥廻座であるため、亥亥の自刑でもある。

巨万の富に玉の輿と思いきや、一転借金生活となったということです。

 

この時期についても、夫の三碧の命と妻の九紫命は、年月で兌宮に同座で、心身が合体し縁が深いとしながらも、

夫の九紫命はその月に暗剣と月破を持ち、妻の九紫命が暗剣月破を持っているため、災いの結婚としている。

結婚当時に本人の本命星に歳破、月破、暗剣などを持っていれば、必ず破財損失の災厄を招くことになるとしている。

 

・1回目の移転

1915年6月に南西へ移転。

1915年6月の方位盤

坤宮(南西)

年盤:辛酉一白 五ッ目or六ッ目 陰貴(夫)、
月盤:戊子一白 直続or三ッ目 未子支害、陰貴(夫))

 

明記はされていないが、妻の九紫命から見て一白は剋になるので、おそらく夫だけ移転したと思われる。

夫は辛未三碧命なので、坤宮の年月の一白は相生、酉は定位の申と合わせると未申酉の三支並びとなる。
年月で夫にとっての陰貴が巡っているのも良い。

 

・2回目の移転

1916年12月に夫と妻で別々に移転。

 

*夫(辛未三碧命)

1916年12月の方位盤(夫)

 

坤宮西南
年盤:壬戌 九紫火星 地支本命的殺
月盤:丙午 一白水星 陰貴 天徳合 歳徳

 

夫は三碧命なので九紫も一白も相生。

中宮支から数えて五つ目。

ただ年盤の坤宮の対冲の艮宮には未廻座なので、干支九星でいうところの地支本命殺の方位。やはり地支本命殺は作用しない可能性がある。

月盤は天徳合、夫にとっての陰貴と、一度盤上から消えているが歳徳が巡る。

 


*妻(甲戌九紫命)

妻は南へ移転。

1916年12月の方位盤(妻)


離宮

年盤:庚申七赤 三ッ目 歳徳
月盤:甲辰八白 月破 月徳合 

 

妻の方は月破に対冲に九紫が巡る九星本命的殺方位なので、あまり良い方位とは言えない。

ちなみに月盤に「本命」とあるのは、陰陽方位便覧という明治期の文献の中で干支本命的殺と言われているもの。
この文献は土御門家の私塾だった斉政館が出版したもので、一般にも多く流通していたものだが、郭氏元経の的命殺(干支の本命殺のこと)の起例の誤りを指摘している。

一応方位盤プログラムではどちらも反映しているため、干支の本命殺については両者を検証中。
(両者の具体的な起例の違いについてはまた別の機会に書く予定)

 

いずれにしても妻の方位は凶殺が重なっているので良い方位とは言えないが、最大の吉神の歳徳の方位であり、さらに年月で申辰支合でもあるため吉凶混在と言える。

 

 

・3回目の移転

別々に移転していた夫と妻が、同居するためにそれぞれ北へ移転。 

1917年2月1日(節入前なので1月節)

1917年1月節の方位盤


坎宮北

年盤:辛酉 八白土星 陰貴(夫)
月盤:丙午 八白土星 歳徳 陰貴(夫) 干支定位対冲(陰陽殺) 

 

夫は三碧命、妻は九紫命なので、年月に巡る八白土星はいずれにとっても相生。

月盤に丙午が巡っているが、北に丙午が巡る場合は干支の定位対冲と言い、別名陰陽殺とも言う。
大凶とする人もいるが、やはりこれも他の吉神との関係を見て総合的に判断する必要がある。

実際にこの事例では、方位を取った結果、当時にしては大きい富を得たとある。

商業的に簡略化された占い、パターン化されたものによくありがちだが、方位には天体運行に伴う様々な影響があるため、一つの要素にだけ注目して吉凶を決めることはできないのではないかと思う。