宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

7.長らく病に苦しんでいた女性が吉方を用いてその病が快癒し、婿を迎えて幸福な家庭を築いた実例 -「方鑒家相要義」より

 

今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。

 

永年病身の婦人吉方を用ひ其重患平癒し聟を迎へ和楽の家庭を作りたる實例


荒井未鑑定


明治二十四辛卯年(1891年)新曆十二月十日生 一白命女


此婦人永年カルイス病に罹り、明治四十三年より同四十四年迄二箇年間、東京帝國大學病院に入院し治療を受け居りたるも、病気平窒せざるを以て、
同四十四年自宅に歸り、大正元年より同三年迄赤十字病院へ入院し、其間肋骨四枚を切取り大治療を受け居りたるも病氣快方に至らす、
依て同三年退院して又實家に歸り、市内の醫師に診療を受けたるも、是又更に醫療の効なく困難せる上に大に落膽し其敷心配し居れり。


或人の勧に依り御嶽講の行者に祈祷を請ひたるに、其行者其病人の家に臨みて申すに、是れは荒神様の安置場所が悪しきとのことにて、他に移せしに此處は荒神様の安置せる上に棟あるから悪いとて、此度は太神宮の棚と並べて安置せしに、此れにて宜しとのことなるを以て其婦人の病気快癒すること安心し居りたるに、其病人其後病勢一層募りたるを以て、其病人の父親たる主人は予の許に来り、病人の身の上の鑑定を請ひたり。


依て予は鑑定の上、大正五丙辰三碧年(1916年)新曆五月立夏の節巳二黒月に、
南の方、年にて七赤、 月にて六白の廻座したる吉方の病院に入院せしめしに、
一時病氣快方となりたるも、入院後三十日目に病気又重もりたるを以て、
母親も本人も歸宅せんと主人に相談せしに、主人は予(荒井)に聞きたる上に處決すべしとて、其母なる人が主人の命を受け予の許に來り歸宅の吉凶を問へたり。

 

茲に於て予は曰く、方徳は三十日位にて効顕のあるものにあらず、四十五日間を経過して漸く方徳の現はるるものであるから、入院後五十日間、即ち今より向ふ二十日間在院治療せられたし、然る上に病人は必ず平癒すると申せしに、母なる人歸りて主人に其旨を話し、主人は予の言を用ひ其病人を其儘在院せしめ置きたるに、入院より四十七日目に至り病氣全快し、主治醫は其婦人に退院を許せしに依り、家人は予に其退院の可否を問へり。

予調査するに其當時吉方が無い依て同年八月十三日迄在院することを話し、同日に至り自宅に帰るは凶方なる放、其病院より南へ向って假移轉せしめたるに、其病人それより健康體となり、本人は勿論両親も非常に喜び居れり。

 

此婦人大正八年四月二十四日婚約整ひ同年五月十日西へ移轉し、同年七月十日自宅を東に見て復帰し、同月十一日前約の聟を迎へ華燭の典を挙げ爾來夫婦親睦にして和樂の家庭を作り居れり。

 

以下、現代語訳。

 

長らく病に苦しんでいた女性が吉方位を用いてその重い病が快癒し、婿を迎えて幸福な家庭を築いた実例

 

荒井未鑑定

 

明治24年(1891年)辛卯年 新暦12月10日生まれ 一白命女性

 

この女性は長らくカルイス病にかかり、明治43年から44年までの2年間、東京帝国大学病院で治療を受けたが、病気が平癒せず、同44年に自宅に帰った。
大正元年から同3年までは赤十字病院に入院し、その間に肋骨4本を摘出する大手術を受けたが、病状は改善されず、同3年に退院して実家に帰り、市内の医師に診療を受けるも、これまた医療の効果がなく、困難な状況に直面し、大いに落胆してしまい、その上で心配事が重なっていた。

 

ある人の勧めに従い、御嶽講の行者に祈祷を依頼すると、行者は女性の家を訪れて、荒神様の安置場所が悪いとのことで、荒神様の上に棟があるから悪いとして、荒神様を太神宮の棚に並べて安置し、これで女性の病気が快癒すると安心していた。
しかし、その後、女性の病状が一層悪化したことをもって、その病人の父親である主人が私の元に訪れ、病人の身の上の鑑定を依頼した。

 

よって私(荒井)は鑑定の上、大正5年の丙辰年三碧年(1916年)新暦5月の立夏の節巳二黒月に、南の方角、年に七赤、月に六白の廻座する吉方の病院で入院させ、一時は病気が改善したものの、入院後30日目に再び悪化し、母親も本人も帰宅しようと主人に相談し、主人は私(荒井)に相談した上で決めるべしと言って、母親が主人の命を受けて私の元に訪れ、帰宅の吉凶を尋ねた。

 

私は方位の効果は30日ほどで顕れるものではなく、45日間経過すると初めて効果が現れると説明し、入院後50日間、すなわち今後20日間も治療を受け続けるべきだと、そうすれば病人は必ず快癒すると申すと、母が帰って主人にその旨を話し、主人は私の言葉を用いてその病院をそのまま在院させておいたところ、入院より47日目に病気が完全に良くなり、主治医が女性に退院を許可したため、家族は私に退院の可否を尋ねた。

私の調査によれば、当時は吉方がないため、同年8月13日まで入院することを話し、同日に帰宅する方角は凶方だが、病院から南に向かって仮移転させたところ、女性は健康体となり、本人ももちろん両親も非常に喜んだ。

 

この女性は大正8年4月24日に婚約し、同年(1919年)5月10日に西へ移転し、同年7月10日に自宅を東に見て戻り、同月11日に約束の婿を迎え、華燭の儀式を挙げ、以後夫婦仲良く、幸せな家庭を築いている。

 

昔は不治の病を方位を使って治したりしていたらしい。

それぞれの方位について検証してみる。

 

・吉方の病院へ入院

1916年5月、南の病院へ入院。

1916年5月の方位盤

離宮(南)

年盤:庚申 七赤金星 歳徳 駅馬
月盤:丁酉 六白金星 天徳合 陽貴人 陰貴

 

一白命なので、七赤と六白の金星は相生。

文中では触れられていないが歳徳の方位でもある。

 

 

・退院、仮移転

帰宅する方角が凶方だったため、病院から南に向かって仮移転させた。

1916年8月の方位盤

離宮(南)

年盤:庚申 七赤金星 歳徳 駅馬
月盤:庚子 三碧木星 命禄

 

一白命なので、七赤と三碧も相生。

また歳徳の方位への移転。

本人にとっての命禄の方位でもある。

 

 

・1919年5月に西へ移転

1919年5月の方位盤

兌宮(西)

年盤:辛酉 二黒土星 陰貴
月盤:辛未 四緑木星 天徳月徳

 

月盤は五つ目。天徳は還家でもある。

 

・1919年7月に自宅へ移転

 

1919年7月の方位盤

震宮(東)

年盤:丙寅 七赤金星 歳徳
月盤:戊寅 七赤金星 天徳月徳 陽貴

 

三度目の歳徳の方位。