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4.吉方を用いて開運した実例 -「方鑒家相要義」より

 

今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。

 

吉方を用ひ開運せし實例

 

宅主 明治二十七年生 甲午七赤命
妻 明治二十九年生 丙申五黃命

 

大正七戊午一白年新暦亥十一月立冬の節八白中宮に東方、年にて八白廻座し月に於て六白の天徳廻座せる方に向って住宅を新築し、同月中に落成移轉せり。

 

其後日を経、月を過ぐるに随ひ家業益々繁昌し、増築の必要を生じ、
翌大正八己未九紫年新曆午六月夏至の節一白中宮に戌亥方、
年に於て一白廻座し、月に於て二黒の天徳廻座せる方に向って住宅を増築し、
爾來一層家業隆盛家庭圓滿にして幸福の身となれり。

 

註に曰く大正七年は一白年にして、東(卯)の方は四ッ目の系線に富り吉方である。
午の七赤命の人には生年の地支よりするも卯の方は親子の系線なるを以て吉である。
又同年新曆十一月は亥八白月にて東(卯)の方は亥卯未の三合の系線にして、殊に亥の月に卯の方は旺荘にして六白の天徳廻座し大吉方に當り、
午年の人に卯の方は前記の如く四ッ目の親星の系線なるを以て吉である。
又大正八年は未の九紫年にして、戌亥の方は四ッ目五ッ目の系線に當り吉方である。

 

而して新曆六月夏至の午一白月に戌亥の方は二黒の天徳廻座し年月に於て吉方である。
午年の人に戌の方は即ち三合の系線にして吉方である。
此れ二回共年月に於ても其の本命星(九星命地支命共)に於ても吉方を用ひし故に方徳顕著にして開運したのである。

 

以下、現代語訳。

 

宅主 明治27年(1894年)生まれ 甲午七赤命
妻 明治29年(1896年)生まれ 丙申五黄命

 

大正7年(1918年)の新暦亥十一月、立冬の節の八白中宮に、東方は年にて八白が廻座し、月にて六白の天徳が廻座する方角に向かって住宅を新築し、同月中に完成・移転した。

 

その後、時間が経つにつれて家業がますます繁盛し、増築の必要性が生じ、
翌年の大正8年(1919年)の新暦午六月夏至の節に、一白の中宮が戌亥の方にあり、年にて一白が廻座し、月にて二黒の天徳が廻座する方角に向かって住宅を増築し、
以後ますます家業が繁栄し、家庭も円満で幸福な身となった。

 

注釈にあるのは、大正7年(1918年)は一白年であり、東(卯)の方は四ッ目(十目では?)の系線に当たり吉方である。
午の七赤命の人にとっては、生年の地支からすると卯の方は親子の系線であり吉方である。

 

また、同年新暦11月は亥八白月で、東(卯)の方は亥卯未の三合の系線であり、特に亥の月に卯の方は旺盛で、六白の天徳が廻座し大吉方である。
午年の人にとっても卯の方は、前述のように四ッ目の親星の系線で吉方である。
また、大正8年(1919年)は未の九紫年であり、戌亥の方は四つ目五つ目の系線にあたり吉方である。

 

そして新暦六月夏至の節に戌亥の方は、二黒の天徳が廻座し、年月において吉方である。
午年の人にとって戌の方は三合の系線で吉方である。
この2回とも、年月においても本命星(九星命地支命共)においても吉方を利用したため、方徳が顕著に現れて開運したのである。

 

それぞれの方位について順を追って取り上げていく。

 

・新築移転方位。

大正7年(1918年)11月に、東へ住宅を新築し、移転。

 

1918年11月の方位盤は、以下のとおり。

1918年11月の方位盤

震宮(東)

年盤:乙丑 八白土星 陽貴
月盤:庚午 六白金星 天徳 月徳

 

月盤では午廻座であるため、午命の宅主に取っての十二支の本命殺方位。
年盤は震宮の対冲の兌宮に申が廻っているため、申命の妻にとっては十二支の本命的殺方位。

ここでも十二支の本命殺、本命的殺方位を犯しているのに
「其後日を経、月を過ぐるに随ひ家業益々繁昌し」とあるので、
やはり干支九星で言うところの十二支の本命殺、本命的殺については疑義がある。

月盤は今回も中宮支から五つ目の方位を用いている。

 

 

・増築方位

大正8年(1919年)6月に自宅の北西を増築。

1919年6月の方位盤

乾宮(北西)

年盤:庚申 一白水星 命禄 十二支本命的殺(妻)
月盤:辛未 二黒土星 天徳

 

妻は申命なので、年盤の申廻座は十二支の本命殺。
しかし吉方であり、開運したとある。

乾宮は年月ともに中宮支から五つ目の宮を用いている。

 

 

 

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