宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

1.吉方を用いて開運した実例 -「方鑒家相要義」より

近年の事例は著作権の関係等の制約があることと、あまり明確に改善・開運したとするところまで記載されているものが少なく、信憑性の面でもあやしいため、
今回から「方鑒家相要義」(飯田天涯著)より、明治期の方位の事例で参考になりそうなものを紹介していこうと思う。

 

 

 

1.吉方を用ひ開運せし実例

 

 

「方鑒家相要義」(飯田天涯著)より

宅主 慶應二丙寅年五月生、八白命
妻 明治三庚午年二月生、四緑命

 

此の男女結婚後夫婦間は親和でありしが、如何に家業を勉強するも運氣拙なく、赤貧洗ふが如く大に悲観し居り其主人なるもの、或日予の門を訪づれ今日迄不運なりしを語り、開運の道を間へり、依て予は人の運命開拓博禍為福の道は方鑒家相に効くものなきことを説き、

其主人を明治三十五壬寅八白年(1902年)、新暦十一月立冬の節亥二黒月に、
東方(年盤六白坐し、月盤九紫坐す)に大なる竈(かまど)を築造せしめ、

又同年新暦十二月冬至の節子一白月に辰巳(年家七赤坐し、月家九紫坐す)の方に當る此の本宅の一部を改造せしめた。

 

此れは寅八白年の主人が寅の八白年に東(卯)の方は寅卯と天地の系線直ちに通じ中吉である。
加ふるに八白命に年家にて六白坐し此れ金運及世に現はれ活動する形、又月は寅年の人が亥の月は天の助けある時にして、又亥の月に卯の方は亥卯未の三合の天道にして大吉方である。

 

次に妻は午年であるから地支の關係は午卯は四十の親子の系線の響きあり中吉となり、
亥の月に午の人が卯の方も吉方である。此の吉方のみにても方德は相応に効しがある。

其上に辰巳の方を新曆十二月九紫の天道を見て殊に地支は夫婦の本命に吉であるを以て此吉方を用ゆれば、順風に帆走馬に鞭の如き勢を以て、 幸運に向ふと判斷して實行せしめたのである。

 

果して予の申せし通り永き年月不運不幸の一家が運氣一轉し好運多福となり一家は和樂、家業は益々繁昌せり。

 

以下、一応現代語訳です。

 

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宅主 慶應二(1866年)丙寅年、 5月生 八白命
妻 明治三(1870年)庚午年 2月生 四緑命

 

この夫婦は結婚後も仲が良かったが、夫はどれだけ家業を勉強しても運が良くならず非常に困っていた。
ある日、夫が私のところを訪れ、これまでの不運な出来事を話し、運を開拓する方法を尋ねてきた。
私は方鑑家相が有効であることを説明し、それを実践することで運命を切り開く手助けになるだろうと伝えた。

 

そこで、彼の主人(夫)は明治35年の壬寅八白年(1902年)、新暦の11月立冬の節に東方に大きな竈(かまど)を築造した。
そして、同年新暦の12月冬至の節には、辰巳(南東)の方に一部の家を改造した。

 

これは寅の八白年の主人が寅の八白年において、東の方(卯の方)は寅卯と天地の系線が直接通じて中吉であり、
また、八白の命式において、年家が六白に座していることから、金運や世間での活動が現れ、月は寅年の人が亥の月には天の助けがある時期であり、卯の方は亥卯未の三合の天道にあたり大吉方である。

 

次に、妻は午年生まれであるため、地支の関係では午卯は四十の親子の系線で中吉となり、亥の月に午の人が卯の方も吉方である。

これらの吉方だけでも、方徳は相応に効果がある。

 

それに加えて、辰巳(南東)の方を新暦12月に九紫の天道を見て、特に地支が夫婦の本命に吉であると考え、この吉方を利用することで、順風に乗り幸運に向かうと判断し実行させた。

 

結果として、私のアドバイス通りに、長い間不運と不幸に見舞われていた一家の運勢が一転し、良い運気と多くの幸運が訪れ、家庭は和やかで家業もますます繁盛している。

 

 

 

 

上記は、結婚後の夫婦が運気低迷していたものの、吉方を用いて開運したという事例。

1902年11月節に、自宅の東方に竈(かまど)を造り、
さらに翌月12月節に、自宅の辰巳(巽宮、東南)の方角で改築を行なったとのこと。

 

まず11月の方位盤は以下のとおり。

1902年11月節の方位盤

震宮(東)は、

年盤:己酉 六白金星 
月盤:戊午 九紫火星 天徳 月徳 陽貴

 

次に12月の方位盤は以下のとおり。

1902年12月の方位盤

巽宮(南東)

年盤:庚戌 七赤金星
月盤:庚申 九紫火星 天徳 陰貴

 

 

宅主が丙寅八白命、妻が庚午四緑命。
11月は年盤六白、月盤九紫廻座となる。

宅主にとっては年月九星は相生だが、四緑の妻にとっては年盤六白は金剋木。

また本命寅の宅主にとって、月盤の対冲の兌宮(西)に巡る寅は十二支の本命的殺、
さらに本命午の妻にとって、月盤の午廻座は十二支の本命殺となる。
しかし開運したとある。

 

十二支の本命殺は干支九星で言われており、飯田天涯の文献ではこのように十二支の本命殺を用いて開運している事例がいくつか見られる。

また陰陽五要奇書内の郭氏元経にも吊宮的命殺という形で、干支の本命殺について掲載されているが、同様に開運している事例がいくつかある。

そのため、最近干支、十二支の本命殺に関して疑義がある。

最近、郭氏元経に書かれている本命殺の起例が誤っていることを指摘する文献(陰陽方位便覧)が手に入り精査しているところである。

そのことについてはまたの機会に書こうと思う。

 

この事例もそうだが、11月も12月も、月盤で中宮の十二支(その月の十二支)から時計回りで五つ目(その月の十二支を一つ目と数えて、11月の亥月の場合、1亥、2子、3丑、4寅、5卯)の宮を多用している。
一般的な気学でも天道として知られる。

一応自作した方位盤プログラムでは、画像のとおり中宮の十二支の定位から時計回りに数字を振って、一目でわかるようにした。

 

次回も参考事例をアップしていく。

 

 

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