のつづき
※この記事にはYouTube動画版があります。
司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読み、脱藩に憧れて渡米を決意。
久留米大学附設高校の1年生時の夏休みを利用して、アメリカのカリフォルニア州へ語学研修の短期留学を行う。
留学では、アメリカの道路の広さや交通量の多さ、留学先の大学での多様な人種と自由な雰囲気など、
日本では考えられない多民族国家の自由で開放的な社会での光景を目にする。
在日韓国人という生い立ちから、国籍の問題で通常の就職は困難が伴うことなど人種問題に悩んでいた孫正義にとって、人生観が一気に変わる程の大きなショックを受ける。
この経験が大きな刺激となり、アメリカへの興味と関心をさらに高めた孫正義は、アメリカ研修から帰国後、苦労して合格したばかりの有名進学校をすぐに退学し、再度留学を、という行動に出ることになる。
孫正義が久留米大学附設高校へ入学したのは1973年で、
留学した夏休みは7月のため、その時の方位を見ると、
福岡から米カリフォルニアは艮宮(北東)の艮ノ方。
年盤:丙辰 三碧木星
月盤:壬戌 三碧木星
孫正義の命式を見ると、申と酉があるため、
月盤に巡る戌は、申酉戌の三支並び&西の方局となる解神で、大吉となる。
また酉年生まれであるため、年盤の辰は支合となり、これも吉の関係。
孫正義が入学した久留米大学附設高校は、例年35~40番内に入っていれば確実に東大へ、そして60~80番にいれば国立の医学部にいけるという実績を持つ進学校だった。
ここでの孫正義の成績は学年200人の生徒中30番。
そのときの同級生だった38人が後に東大に受かっていることを考えると、
そのまま行けば東大へ行けていたと考えられる。
そんな有望な将来を捨ててまで退学を申し出たため、当然学校の担任や校長、
そして高校進学に備え、わざわざ一家で北九州市から博多に引っ越した家族からは猛反対を受ける。
しかし孫正義の決意は固く、説得と5ヵ月の渡航準備の後、
1974年2月、アメリカに向け出発することになった。
1974年の2月に渡米。
カリフォルニアの英語学校へ入学とのことだが、
2月の節入前か節入後かが問題となる。
調べてみたが、日付まではわからなかった。
真偽は不明だが、2月4日に渡米したと話していたとするインタビュー記事があったという話を目にしたが、1974年の2月4日は丁度立春で、14時に節入を迎える。
福岡からアメリカへ出発した場合、出発日時から2〜4時間前の日時に到着するため、出発が夕方以降でなければギリギリ節入前となる。
つまり、1974年2月節ではなく、1973年の1月節の方位盤で見ることになる。
念の為、両者を比較してみる。
日本からカリフォルニアは艮宮(北東)の艮ノ方。
2月節だと、
月盤:己巳 五黄殺 歳徳合
1月節だと、
年盤:丙辰 三碧木星
月盤:戊辰 六白金星 歳徳神
2月節だと月盤の五黄殺は歳徳合である程度制化できる可能性があるが、年盤の暗剣殺は太歳の方位(その年の十二支の方位)で凶意が大きいため、実際の事象と合わないように思う。
1月節であれば、月盤に歳徳神が巡ることに加えて、年月盤に巡る辰は、孫正義の年支酉と支合で吉。
一方で、年月盤で辰辰が重なるのは自刑となるため凶。
しかし辰辰なので、対冲の戌との関係も見ると、孫正義の命式と合わせて申酉戌の三支並び&西の方局となり大吉となる。
以上から、2月の節入前の渡米(すなわち1月節)ではないかと考えられる。
孫正義は1974年に渡米後、米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校に入学し、サンフランシスコのセラモンテ高等学校2学年に編入学。
3年生、4年生へと飛び級し、米国高校卒業検定試験に合格したため、3週間で退学。
翌1975年にホーリー・ネームズ・カレッジに入学した。
1977年、カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3学年に編入学。
1978年、在学中にシャープに自動翻訳機を売り込み、資金1億6000万円を得る。
吉事象が出るのは、移動を1年目として原則1・5・9年目の四飛び周期だが、資金を得た1978年は、渡米から5年目に当たるため、その周期的にも一致する。
1979年、その資金を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。
インベーダーゲーム機を日本から輸入し、米国で販売した。
1980年、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。
日本に帰国しコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多で興す。
1981年、ユニソン・ワールドと経営総合研究所の共同出資で福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立し、代表取締役社長に就任する。
しかし1983年、慢性肝炎で余命5年の宣告を受け入院となったため、社長職を退く。
凶事象が出るのは、原則4・7・10年目の三飛びの周期だが(四飛び周期にも出る説があるが)、1983年は、四飛び周期の渡米から10年目だった。
辰辰の自刑の凶事象とも考えられるが、
運気的にも、健康面の指標である五行のバランスが著しく不調和となる時期。
1980年〜1982年は、申、酉、戌と金気の強まる年運であり、
特に前年の1982年の戌年は、命式に申と酉を持つ孫正義に取って、西の方局(申酉戌)を形成するため、身弱の日干乙木の孫正義にとって、金気の剋が強まり(金剋木)五行不調和の傾向が強まるため、健康面では凶となる。
方局は、方位では吉と見ても、運気では五行不調和を強める場合には注意を要する。
西の方局により著しく強まった金気が、木気を剋したことで、木気の五臓である肝臓に病が出たと見ることもできる。
・四飛び周期の13年目
1986年、社長職に復帰。
以降、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄と共にベンチャー三銃士と称された。
・17年目
・21年目
1994年、ソフトバンクの株式を店頭公開。
その後もソフトバンクグループは通信事業で急成長を続け、インターネット、メディア、エネルギー、金融などの分野で事業を拡大。
次の記事