宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

大成功した有名人の方位2 田中角栄

大成功した有名人の方位2 小林幸子

のつづき

 

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新潟出身の事例をもう一つ。

第64・65代内閣総理大臣田中角栄も新潟出身。

田中角栄

 

上京時ではないが、田中土建の社長だった1945年2月、
仕事を請け負っていた理化学興業の工場を、韓国の大田(テジョン)に移設する工事のため、朝鮮半島に渡る。

この時の朝鮮半島の方位が兌宮(西)で、月盤でその年の歳徳神である庚が巡る方位だった。

1945年2月、韓国・大田に渡る

 

東京から韓国の大田は、酉ノ方と辛ノ方の境目なので、二十四方位では少しズレるが、同じ兌宮の庚ノ方は、定位での歳徳神の方位でもある。

同じ兌宮の庚ノ方は、定位での歳徳神の方位

 

ただし月盤で辰が巡り、辰月生まれの田中にとって月命殺となるのは凶。

一方で、月盤では月命殺となる辰が巡る

 

敗戦後の8月下旬に朝鮮半島から引き揚げ、
田中土建工業は戦災を免れた。

 

朝鮮半島に渡った際は歳徳神の方位だったが、
8月の下旬に帰国した際の方位は歳破の凶方位だった。

帰国時の方位は歳破だった

 


以下、方位を取った年から四飛びの時期(1・5・9…年目)を中心に見ていく。

 

・1年目

1945年11月、戦争中より田中土建工業の顧問だった代議士からの依頼により、
1946年4月の衆院選に進歩党公認で立候補する。(結果は落選)

 

四飛びの法則からは外れるが、
1947年4月に第23回衆院選民主党公認で立候補し、当選。

1948年、選挙部長の役に就く。

1948年、贈賄疑惑が表面化し、逮捕、収監される。

これは朝鮮半島から帰国した1945年を1年目として、凶事象の出る三飛び周期の4年目だった。

 

・5年目

1949年、第24回衆院選に獄中立候補し、再選を果たす。

 

四飛びの法則からは外れるが、
1950年に執行猶予判決が下るが、1951年、逆転無罪となる。

1952年、第25回衆院選で初めてトップ当選を果たす。

 

・9年目

1953年4月、第26回衆院選でトップ当選。

母校の中央工学校の校長に就任。

田中角栄の後援会『越山会』が誕生。

 

・13年目

1957年7月、郵政大臣に就任。

1958年5月、第28回衆院選でトップ当選。

 

・17年目

1961年、自由民主党政務調査会長に抜擢される。

1962年、大蔵大臣に就任。

 

・21年目

1965年、自由民主党幹事長に就任。

 

・25年目 

1969年、第32回衆院選でトップ当選、娘の眞紀子が結婚。

 

四飛びの法則からは外れるが、
1971年、通商産業大臣。1972年、自由民主党総裁に就任。

第64代内閣総理大臣に任命される。

初の大正生まれの首相であり、史上初の新潟県出身の首相だった。

 

・29年目

1973年第65代内閣総理大臣に任命される。

 

1976年7月 ロッキード事件で逮捕

これは朝鮮半島から帰国した1945年を1年目として、凶事象の出る三飛び周期の31年目だった。

 

 

歳破と歳徳神の影響が入り混じったからか、
日中国交正常化や、日本列島改造論を掲げて高速道路や新幹線などのインフラ整備を進めたり、
経済政策を実施して、日本経済を高度成長期へ導きGDPを世界2位まで押し上げた一方で、
財政赤字の拡大やバブル経済の崩壊、汚職疑惑などによる有罪判決で収監までされるなど、
日本の戦後政治を代表する政治家の功罪という形で表れたようにも見える。

 

 

 

 

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