大成功した有名人の方位2 今年の歳徳神、都天殺、土用について
のつづき
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話を今年の歳徳神(恵方)に戻すと、
実際のところ今年の定位の歳徳神(恵方)である丙ノ方はどうなのかが気になるところだが、実例が一番重要だと思い、丙が歳徳神となる年に転居した有名人を探してみた。
東京が丙ノ方となる場所を見ると、新潟の一部の地域辺りなどがあるため、
新潟出身の芸能人で探してみたところ、
俳優の渡辺謙が1978年の戊午の年に、定位の歳徳神の方位(丙ノ方)で上京していた。
上京した1978年を1年目として、
原則、吉事象の出るとされる四飛びの時期の出来事を見てみると、
・1年目
演劇集団 円公演『夜叉ヶ池』を観劇して感銘を受け、翌年に同劇団附属の研究所に入所。
『下谷万年町物語』のオーディションを受け、研究生ながら主演の青年役に抜擢された。
・5年目
1982年、演劇集団 円の劇団員に昇格し、『未知なる反乱』でテレビデビューを果たした。
・9年目
1986年(1987年1月4日〜なので1986年節)、
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で主役(伊達政宗役)を演じ、39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。
一躍全国的な人気を獲得、スターダムにのし上がる。
といった形で、四飛びの法則的にも吉事象が表れているように見える。
しかし、上京時の方位は定位の歳徳神だったとはいえ、
「亥」年「戌」月生まれの渡辺謙にとって、離宮(南)の方位は
「戌」が巡る方位であったため、地支の月命殺となり、
また、離宮(南)の対冲の坎宮(北)には「亥」が巡っていたため、
地支の本命的殺方位でもあった。
そのことと関係してか、
舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じて前途洋々に見えた、1989年、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に、急性骨髄性白血病を発症し降板。
再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年間の闘病後、治療を続けながらも俳優業に復帰。
定期的に入院治療を続けながら、『仕掛人・藤枝梅安』を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。
経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピールした。
しかし、発病から5年が経った1994年に再発。
再治療を行い、経過は良好となり、翌年、無事復帰を果たす。
吉神と凶神を重ねて取って上京した影響か、吉事象と凶事象が入り混じったような形として表れたようにも見える。
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