宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

方位学との出会いと転機6 徳川から続く系統?

方位学との出会いと転機5 方位盤プログラム

のつづき

 

※この記事にはYouTube動画版があります。

youtu.be

 

 

さらに8ヶ月間程学びを進めた後、本だけでは理解できない部分も多かったため、
著者に直接コンタクトを取って質問してみることにした。

 

ファミレスで待ち合わせをして3時間程、質問事項として30項目以上まとめたものを交えて質問攻めをしてしまったが、丁寧に答えて頂くことができた。

その中で分かったことは、本はその人物のかつて師だった人物の講義録などだったが、
それらは本人ではなく当時の生徒が書いているもののため、
間違った記述がかなりあるということだった。

重要な箇所があえて消されてたりしているという。

やはりこういった世界は口伝的な部分が多い世界なのだろう。


せっかく良く勉強してるんだから勿体無いということで、
著者の教室で学んでみてはどうかと、直接お誘いを受けることになった。

本だけの独学では限界を感じたため、また教室も偶然にも近所だったため、
今年から新たな師として学ばさせて頂くことになった。

生年月日がすべて公開されていなかったため最初はわからなかったが、
自分にとって解神という大吉の十二支である「寅」を持っている方のようだった。

以前学んだ流派は半年の講座で修了だったが、
その教室には10年以上在籍している人も多く、
お坊さんなども来ているという。

方位だけでなく、依頼のあった年月日時から事象を読み解く「卜術」も学ぶ。

内容は奥深く、想像していた以上に複雑で難しいが、
隣地で建築・動土があった際に、それを止める術や、その影響を受けないように結界を張る方法など、毎回もしもの時や普段から使える秘術なども教わることができ、
非常に勉強になっている。

1年近く高価な本を読んで理解したつもりでいたが、質問の時間を通して方位についてかなりの部分の認識が変わり、結果的に自分自身の次の転居のベスト時期も変わることになった。

 

インターネット掲示板などでも、その流派に言及するものがあるが、
文献自体が一般の書店では市販されない専門書で、結構な値段がすることもあって、
それらを読まずに基礎的な部分の理解が不十分な人の書き込みが多いようだった。

また、ネットでもその流派の人物と思われる人が何人かいるようだったが、
色々とあって実質的に教室からクビになるなど長く在籍しなかった人が、
十分に理解せずに情報発信しているらしい。

最近でも金儲けを思惑してか、流派の名前で勝手に商標登録を試みる者が出てくるなど、
不穏な動きもあるようだった。

方位神についても、名前だけ検索すると個別の算出サイトなどが出てきたりするが、
名前は同じなのに全然違う方位を指していたりする。

ネットの情報は断片的で、不正確なものが多いようだった。

 

新たに縁のあったその人物自身も実績があり、立場のある方だが、
その師匠もまた、その世界では知る人ぞ知る人物だった。

大学では易経を学ぶために漢文を専攻し、大学院の博士課程まで進んで、
高校で漢文の教師をしながら、易などの占術の研究をしていたという。

かつては日本の有名政治家や経済人の相談役もされていたとか。

ネットの掲示板では、人間国宝の人が直電していたという書き込みもあった。

 

さらにその師匠を辿っていくと飯田天涯という人物に辿り着くようだった。

自分は初めて名前を聞いたが、飯田天涯も当時は名を残した人物だったという。

 

気学で有名な園田真次郎という人物がいるが、別名飯田地角といい、飯田天涯とは師を同じくするライバル関係だった。

天涯と地角、二人で天と地。

園田は九星を、飯田は干支をやったと言われている。

 

飯田天涯について調べてみると、徳川将軍家由来の寺院である小石川伝通院で、家相学を学んだという話もあるようだった。

徳川将軍家と聞くと、徳川家康に仕え、ブレーンとして助言を与えていた天海を思い出す。

天海は、朱子学陰陽道神道、仏教など幅広い分野に精通し、
風水的な要素が取り入れられた日光東照宮の建立にも深く関わり、
江戸のまちづくりを進めるにあたっても、江戸の町が発展するように仕組んだ張本人と言われる。

小石川伝通院が徳川将軍家由来の寺院ということは、そこで学んでいた飯田天涯も、それらの家相学を学んでいた可能性が高い。

 

今回、自分が学ぶことになったのは、飯田天涯の子孫の弟子の、さらにその弟子にあたる人物ということになるが、そうした叡智もこのような形で後世に連綿と引き継がれているのかもしれない。

 

ちなみに白川学館を設立した故七沢賢治氏のご先祖が、将軍徳川家光の側室で、「お楽の方」と呼ばれた人物だったらしいが、その方が産んだのが第4代将軍の徳川家綱だったという。

徳川という形でその辺りも繋がってくる。

 

ところで、白川の祓詞の中に三種祓というものがある。

 

とほかみえみため
とほかみえみため
とほかみえみため
祓ひ給ひ 清め給ふ

というもの。

 

また白川とともに日本の神道界を担った吉田神道では、
国津神にあたる

「寒言神尊利根陀見(かんごんしんこんりそんだけん)」
(=八卦の「乾兌離震巽坎艮坤」のことだと思われる)

と、

干支の「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」

が唱えられていたのが、

天津神にあたる「とほかみえみため」のみに省略されるようになったようだった。

 

自分は白川のグループを知る以前に、縁あって「先天の三種の大祓」という、
十干、十二支、八卦の入った祓詞を知る機会があったため、
定期的に氏神八幡神社で唱えていた。

なんとなくではあったが、やはり三種祓から削られてしまった干支と八卦も重要なのではないだろうか?

白川の神拝作法でも、とほかみえみためを唱える際に八方位を意識する作法があるが、
干支と八卦は、方位を見るにあたっても重要な要素となっている。

 

 

 

次の記事

utyuu-no-housoku.hateblo.jp