宇宙の法則の研究と実践

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方位学との出会いと転機3 新しい方位の叡智

方位学との出会いと転機② 白川との出会い

のつづき

 

 

※この記事にはYouTube動画版があります。

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アンドロメダ銀河から降りてきた星の叡智」の動画の復習になるが、
2022年2月、 白川のグループの主催する祓い・鎮魂イベントに参加し、
公の意志と絡めて、方位鑑定に関する言霊を発した直後に、
新たな方位の叡智と出会うことになった。

 

2022年に新しく出会った方位の叡智は、2019年に学んだ理論とは、
方位に巡る干支の使い方が異なるもので、最初は戸惑いがあった。

ただ、関連する専門書を多数読み進めていく内に、
精緻に天体の運動法則を表していると感じる部分も多く、興味を惹いた。

また、方位には原書というものが存在することを知った。
例えば、陰陽五要奇書というものがあり、
この中に九星や干支について書かれた方位盤が出てくる。
陰陽五要奇書は中国から輸入され、
江戸時代には土御門安倍家が自邸で教えていたものだという。


自分が最初にこの書物の名前を目にしたのは、陰陽道の研究家である
高橋圭也氏の講義を受けた時だった。

高橋圭也氏は、映画「陰陽師」の演技指導などを手掛けたこともある人物。

 

方位の原書を含む文献を手に入れることになった時から半年前の2021年夏に、
自分は東京から千葉へ転居したが、たまたま仕事で車を停めた目の前に、
建立されたばかりの鳥居があったため参拝した。

そこは太上神社という神社で、陰陽道に関連する神社のようだった。

参拝を終えて、鳥居を出た瞬間に、目の前を黒いアゲハ蝶がスーッと飛んでいった。

 

後で太上神社について調べてみて知ったことは、
その神社は陰陽道宗家の土御門家の流れを汲む神社で、
土御門家の家紋がアゲハ蝶だったということだった。

 

太上神社については、戦後に土御門家にあった邸内社が、
自分が引っ越した自宅の地域の氏神でもある
千葉の検見川神社近くに移築されて、
それが令和の時代に入って、千葉市内に再度移築・再興されたもののようだった。

 

参拝から半年後の2022年2月に、先程も述べた白川神道の祓い・鎮魂イベントに参加し、
「創造したいこと」や「創造すること(宣言)」を、
ロゴストロン大型機によって発信する機会があった。

 

その際に「方位鑑定を通しての公への貢献の意志」を表明したところ、
直後に、土御門家に関連する書籍を含む多くの文献を入手することになった。

 

それらを学ぶ中で、今まで学んだ流派の方位の干支の用い方が、
原書に基づくものではなく、
明治期まで国の機関だった陰陽師が実際に用いていたものが
別にあることを知ることになった。

(この世界では、原書のない占術はどちらかというと怪しいと言われている)

 

 

同年の2022年の春から行われた白川の講座「やまとの法則」の中で、
天皇は、「時間を調整する」、「時間を定める」という意味の「天津日嗣」と呼ばれ、
1年の長さがピッタリ365日でないズレを修正する役割だったこと、
すなわち、この世の時空間を制御する役割があったといい、
時間というものを自ら調整し定めるということができないと天皇になれなかったのだという。

天皇はヒジリとも呼ぶが、「日を知る」という意味なのだという。

 

だから天皇の周りには優秀な星博士がいっぱいいて、
後にそれを「土御門家」が継いだという話が出てきて驚いた。

時期を同じくして、上で述べた土御門家に関連する文献を手に入れたことは偶然ではなさそうだった。

 


鎌倉時代中期に元が攻めてきた元寇(蒙古襲来)も、目的は領土拡大ではなく、
アンドロメダに裏付けられた日本の暦を欲しいがためにやってきたのだという。

 

日本人も蒙古人もアンドロメダ大星雲を拝していて、それを高木神と呼んでいた。

 

 

 

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