11.光子(フォトン) - (カタカムナをしたら龍が来た話し)
のつづき
12.蘆屋道満と秦氏と御先祖様
年が明けて、今年2024年の1月、カタカムナおじさんKが三重でイベントをやるらしかった。
丁度1月の関西方面は、下旬くらいになれば方位的にも良さそうだったので参加してみようか迷ったが、行くとしたら車で行こうと思っていたのに丁度雪が降りそうな気配だったので断念。
すると、カタカムナおじさんKが、カタカムナの音源付き冊子を販売するとのことだったので、丁度良いと思い吉方位からの取り寄せの術を実行した。
同時期に、最近同じくYouTubeで注目していた秦氏の末裔の人が出版するという「サムライ開運法」という書籍も、同じく吉方の関西から取り寄せることとなった。
カタカムナの第1首に「アシアトウアン」とあって、安倍晴明のライバルとして描かれることの多い「蘆屋道満」との関係性も指摘されているが、
カタカムナを調べている中で判明したことは、蘆屋道満の本名は「秦道満」だったという説があるということだった。
・カタカムナ第1首
同じ時期に吉方位から、カタカムナと秦氏に関するものをほぼ同時に取り寄せることになるのも、何か偶然ではないものを感じた。
蘆屋道満の本名が秦道満だったという説を知り、カタカムナと秦氏との関係性が気になっていた中で、
何となく以前、家の先祖供養用のために作った先祖の家系図を見たところ、自分の御先祖様に「ハタ(畑)」がいたことに気づく。
自分の父方の曽祖父が実は養子だったので今の苗字は違うが、元の苗字は「ハタ(畑)」だったのだ。
ハタにも羽田とか波田とか色々あるが、もしかしたら秦氏とつながりがあるのかもしれないと思い、色々調べた。
兵庫出身なので丹波畑氏にルーツがありそうだったが、丹波畑氏は畑時能という人物の子孫らしい。
天皇方の新田軍が、三井寺(みいでら)に立てこもる足利軍に攻め入る際に、畑時能が木戸を踏み破って三万余騎の新田勢を城中に入れるなど活躍し、新田軍は勝利を収めたとある。
新田軍の特攻隊長と言ったところだろうか。
この様子は2015年青森ねぶた祭でも、日立連合ねぶた「三井寺合戦 新田四天王大暴れ」として描かれており、このねぶたは2015年「ねぶた大賞」、「囃子賞」、「優秀制作者賞」を受賞している。
<参考>
2015年「三井寺合戦 新田四天王大暴れ」:青森ねぶた祭(日立連合ねぶた):日立
大学入試は地理受験だったこともあり日本史は疎いのでよくわからないが、子どもの頃に歴史ドラマを見ていた親父が、御先祖様が足利尊氏とライバル関係にあったような話をしていた記憶がある。
新田義貞を調べてみると確かに足利尊氏とライバル関係にあった。
畑氏の出自は諸説あって、姓氏家系大辞典では秦氏とあるのだという。
秦氏と言えば、日本の歴史の中ではかなり重要な氏族で、古代に朝鮮半島から渡来したとされる。
鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造など、当時の最先端テクノロジーを伝播させた。
平安京への遷都も秦氏の高度な技術力があったからこそできたことだと言われている。
秦氏の氏寺として建てられたのが広隆寺だが、広隆寺は秦氏の族長だった秦河勝が聖徳太子から賜った弥勒菩薩像を祀るために創建された。
弥勒菩薩は、未来に現れて人々を救済する仏とされ、秦氏は弥勒菩薩を氏神として信仰していた。
弥勒菩薩は日本の国宝第一号となっている。
秦氏については日ユ同祖論などで、ユダヤとの関係も指摘されており、個人的にも気になっていた。
特に、秦氏は八幡神を祀っていたという話があり、
ユダヤ教の唯一神はヤハウェで、
ヤハウェ→ヤハタ→ハタという形でつながる。
という説は面白い。
ユダヤはヘブライ語でYehudi、アラム語でもYehudai
ヘブライ語やアラム語は基本的に子音表記なので、表記するときはYHD
八幡(Yahada)とは、Yehudaiの母音変化
とする説もある。
このことからも、八幡=ユダヤとの関連が見えてくる。
特に自分が引っ越す度に近所に八幡系の神社が存在するため、産土神は八幡と関係があるのではないかと考えていた。
また秦氏は陰陽道の祖とも言われているが、高校生の頃から陰陽道に興味があって学んでいて早四半世紀は経つため、そうした興味も自分自身のルーツから来ていたものだったのかもしれない。
新田義貞が戦死した後、畑時能は飛騨に入り、館を構えて住んだとされる。
館の守護神ならびに土地に産土神として、京都の上賀茂神社の分霊を勧請して賀茂神社を創建したとされるが、
上賀茂神社を創建した賀茂家は、平安時代の陰陽道の一大権威として知られている。
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