今回も飯田天涯著「方鑒家相要義」より取り上げる。
この事例で方鑒家相要義からは最後となる。
方徳に依りて運氣及心情の轉換を為せし實例
柴田南海鑑定
大正五年春一商人來りて予に鑑定を請ふ。
本人は明治十七年甲申八白命の生れである。
此人今日迄俗に所謂商賣上手にして金を儲けることのみに腐心し、目的の爲めには手段を選ばずと云ふ流亞にして、商業道徳と云ふ観念は欠けて居たのである。
此商人予に向って開運の道を教示せられんことを請ふ。
依て予は諭して曰く常道は最後の勝利者なることを示し、殊に開運の道は方鑒家相に在ることを説き、
先づ以て大正五年新四月清明の節辰三碧中宮月に未申の方、年家月家共九紫の廻座せし方に向って移轉せしめ、從來の業に従事させたのである。
然る處轉居後商賣は予想以上に繁昌せり、茲に於て本人益々誠實に業を精励せしに依り、四年目即ち大正八年の今日に至り物質的は大に餘裕を生じ順潮となれり、
此の時に及んで予の諭せる常道は最後の勝利者であると云ふ言の道理なること、殊に方徳の顕著なること、心肝に銘じ、自己の以前に取りたる行爲の、道に背けることを悔悟し、爾來深く方鑒の道を信じ、百事方鑒に依りて爲し、誠心誠意業を精励したるを以て、業は層一層繁昌し心廣く體胖となり好運多幅の身となりたるのである。
註に曰く坤を養ふ處とし又蓄ふ處とし、九紫を明かなるものとす。
故に未申の九紫の廻座せる大吉方に移居せし方德に依り、心の修養を積み財を蓄ふるに至れるのである。
凡そ通俗的人物は物質上に、足ることを得るに於て、常道を履むに至る。
古語にも衣食足りて禮節を知るとありて、普通の人としては衣食に窮することなければ無理なる行動を爲す無く、自然人の人たる道を履むのである。
蓋し方德の人を化するや先づ財寳を以てす、故に吉方を用ゆるに於ては自然的に其人をして、物質的に満足せしめ、而して又精神に満足を得せしめ即ち佛家の所謂安心立命せしめるのである。
以下、現代語訳。
方徳によって運気及び心情の転換を生じさせた実例
柴田南海鑑定
大正5年(1916年)春、ある商人が来て私に鑑定を依頼した。
この人は今日まで、所謂商売上手で金を儲けることのみに腐心し、目的のために手段を選ばず、商業道徳という観念が欠けていた。この商人は私に向かって、開運の道を教えてもらえないかと依頼した。
よって私は彼に諭して、常道は最後の勝利者であることを示し、特に幸運の道は方鑑家相にあることを説き、
まず大正五年(1916年)新四月の清明の節、辰三碧中宮月に、未申(南西)の方、
年家月家ともに九紫の廻座する方に向かって移転させ、従来の仕事に従事させたのである。
然るところ転居後商売は予想以上に繁盛した。
その結果、本人はますます誠実に仕事に励み、四年目である大正八年の今日に至り、物質的には大いに余裕ができ、好況となった。この時に私が説いた常道が最後に勝利するという言葉の理に基づくこと、特に方徳が顕著であることを心に刻み、自分が以前に行った行為が道に背くことを悔い、それ以降、方鑑の道を深く信じ、あらゆることに方鑑に頼り、誠心誠意で仕事に励んだ結果、業績はますます繁盛し、心も広く体も健やかとなり、幸運に恵まれた身となったのである。
註によれば、坤を養う場所とし、また蓄える場所とし、九紫を明るいものとする。
そのため、未申(南西)の九紫の廻座する大吉方に移り住むことで、方徳に依拠して心の修養を積み、財を蓄えることができるとされている。およそ通俗的人物は、物質的な豊かさを得ることで、通常の道を歩むようになる。
古語にも「衣食足りて礼節を知る」とあり、普通の人としては衣食に不自由がなければ、無理な行動を取ることもなく、自然人の人としての道を歩むのである。方徳で人を化する場合、ますます財宝をもってする。
そのため、吉方を用いるにおいては、自然にその人を物質的に満足させ、そして精神的に満足させ、すなわち仏教に言うところの安心立命をもたらすのである。
この事例は、金儲けしか頭になく目的のためには手段を選ばなかった商売人が、吉方位を用いたことで改心したとしている。
取った方位を見てみると、
坤(南西)
年盤:壬戌 九紫火星 陰貴
月盤:戊戌 九紫火星 陰貴
八白命なので、年月盤に巡る九紫火星は相生。
年月盤ともに中宮支から数えて五つ目の宮でもある。
年月ともに甲申八白命にとっての吉神である陰貴も巡る。
坤宮(南西)は、吉方で取れば働き者になる方位と言われたりもする。