のつづき
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白川と陰陽師
保江邦夫氏と言えば、自身を陰陽師の末裔の家系だと話しているが、白川の講座では陰陽師と白川の関係についての話しもあった。
陰陽師というのは、命を狙われる危険な場所だった厠(トイレ)で紙を渡すのを、白川は宮中があったので代わりにやってもらっていた役目で、不測の事態に備えるために白川の技を伝えた。
中国から入ってきた陰陽師の色んな技があるが、中国にあって日本に来た技の大元にあるのが全部言霊。
易経とカバラは言霊だった。
易経もカバラも、日本の根源の教えというのは全部言霊学が元になっている。
しかし帝王学は、他に伝えてしまったら帝王になれないから、絶対に本当のことを伝えてはいけない。
だから全部隠したが、隠し過ぎて分からなくなってしまった。
本来言霊は、言葉で現実創造するとか、人々を豊かにするという発想の元に存在するが、結局占いになってしまった。占いを使って、どっちが勝つとか、いつ相手を攻めたら良いとかという話になった。
もっと言うと、占いになった段階で、その人個人の人間としての意志エネルギーが消えてしまう。つまり預けてしまう結果になる。
具体的には、神が生み出した世界を「太極→陰陽→・・」としているため、受身としての「占い」に終始せざるをえない。
つまり、自分が神として決める側にいるのではなく、神に決められた世界を卦で確認するしかできないということ。
また意志の発動を示す「イとヰ」も消えている。
言い方を換えれば、易経は宇宙が展開していく様相を示すだけで、元に戻る方法論がないということ。自分の意志で動くのではなくて、占いの結果を優先させるので、占いの結果を出す元にあるのが本当の神であればいいが、いわゆる悪い意味での先祖霊が卦を出すように働き掛ける。
それを受けた本人は、仮に王とすると、こうやってやれば勝つとやって、勝つときもあるが、ところが中国の歴史を見ると何度も入れ替わっている。
ということは、どこかで本当の教えは消えたということ。
本当のことがわかっていればもっと違う文明になったと思う。言霊の場合は、祓いにより元の「ウ」、すなわち天之御中主神に戻り、さらにはその「ウ」ですら生み出す位置に戻ることができる。
神=創造ができるとは、大元に戻れることを意味する。
ハプスブルグ家を、ヨーロッパ最強の国家に押し上げる基礎を築いたと言われるフリードリヒ3世は、言霊の力を用いていたと言われる。
城壁や調度品、壁画などには「AEIOU」という言葉が刻まれたものが多く見つかっている。
ハプスブルグ家の言霊による繁栄 - アヴァンギャルド精神世界
カバラも元々宇宙の究極原理ということでできた。
しかしこれまた中国と同じ運命。これ自体帝王学なので、カバラの世界にあらゆる暗号というか大事なものをわざと抜いたり分からなくした。
少なくとも最初の段階では言霊学だったからちゃんとあった。具体的には、母音を隠したということ。
母音がないと創造そのものができない。ところが、ある段階であまりにも隠し過ぎて分からなくなって、
カバラはその後、数秘術とかタロットという形にどんどん次元を落としていった。
同じくカバラも言霊であり、神という存在を失ってしまった結果、占いになってしまった。占いの場合は自分の意志が入ってはいけないので、誰の意志で占いの結果が出てるんだという問題が必ず出てくる。
それが本当の神ならしょうがないが、大体邪霊か悪霊の仕業で答えを出したりする。カバラは10個玉がある。線があってパスという。22ある。
ヘブライ語は22の言葉で出来ている。
22の言葉は全部子音。母音が入っていない。珍しい。
22の父音で出来ているのがヘブライ語。玉が10個あるのは母音。
あるいは鳥居の十は十と言ったが、アイウエオ、ワヰウヱヲ。
これは結局10存在する。5の5というのは陰と陽があるので、5と言って良い。
つまりこれは紛れもない言霊。
画像転載元
ちなみに一般的なカバラの世界では、一番上の玉をケテル、一番下をマルクトと言って、王冠と王国と言うが、これが実はうまく隠されている。
なんで隠されているかというと、実は母音が無いので正しい発音ではない。
アメリカ人か何人か分からないが、勝手に母音を入れて言葉にしてしまった。その結果が、ケテルとかマルクトとかになっていて、
つまりヘブライ語なので、母音が全部隠されている。つまり母音が無いので本当のことはわからない。
そういうことで暗号化した。さらにはヘブライ語自体、実は暗号。母音が無いので。
非常に闇が深い。よく大体ユダヤとかアラブの世界では、みだりに神の名を唱えるなと言う。
日本だとむしろ神の名前を唱えたり。みだりに唱えるなと言うことは、実は支配者側が作った言葉。
言葉と言うのは実は力を持っているので、みだりに言葉を唱えるなと言うことで神をまた隠した。非常に巧妙。
だから東西で一見離れているが、
結局易経にしてもカバラにしても、隠した。
それで分からなくなってしまった。これもなかなか我々も笑い事ではなく、
古事記に言葉を隠したと言うことを、小笠原先生が残してくれなければ同じ事態になった。言霊とか本当の教えを持っていた人はことごとく消された。
だから小笠原先生が一人生き残ったと言うのは不思議というか、関係者はみんな死んだ。何かしらの理由があったと思うし、もしその系統が切れてたら、当然今日の講座もないし、私も今の仕事をやっていないし、全く普通の人生で終わったと思う。
それくらい古い帝王学には言霊を隠した世界があるので、本当に古事記に言霊が隠されてると教えてくれた情報は非常に貴重だということと、本当に日本がこういった歴史を理解して、先程のこの天津太祝詞音図の世界を作るために残されたとしか言いようがない。
おまけに隠された言葉は何語かというと、全部日本語。
易経にしてもこのヘブライのあれも元は日本語。それを隠したという意味で、それが表に出る時代がこれからやってくるという考え方ができる。
母音アイウエオというのは地球の五行に対応する。
世界の6000ある言語のうち、母音優勢な言語は、日本語やポリネシア語など3つくらいしかなく、あとは父韻が優勢な言語がほとんどだという。
言語の中に母音が含まれていないと、地球としっかり繋がることができず、言葉を喋れば喋るほど不安になる。
そうなると、人を襲ったり、土地や色んな物を奪って溜め込む。
世界の歴史もそんなようにできている。
現代の日本人も日本語を喋ってはいるが、戦後GHQの政策により、そう言った教えが意図的に消されて、日本人が言葉の世界から引き離されてしまったため、ある時期から日本語を喋っていても、レベル的には英語と変わらないような、単なる人間同士のコミュニケーションのツールになってしまった。
本来なら地球とのコミュニケーションであり、宇宙とのコミュニケーションのツールが日本語であった。
ちなみに、オーストラリアのディジリデュは、元の名称は“いだき”というものを、西洋人が後に名付けたものだが、母音アイウエオを出す楽器と言われ、ディジリデュを吹くと自分の魂が地球と一体化する感覚が得られるという。
易占の考察と占いの定義
易占については、筮竹やコインを使って出した卦によって、起き得る未来を予測することなどに使われるが、何らかの意識体とのチャネリングの側面があるということを知ったのはここ数年のことだった。
日常的に使う用途はあまりないので、一年の初めにどんな年になるか卦を立てることがある程度。
八卦自体は、方位の表面的な象意が出やすいので、方位を取れる範囲で狙いたい事象の卦を選んだりもする。
易占のようにたまたま出た卦としてではなく、規則性を持って巡るものとして加味している。
最初、この易経の真実を聞いた時、易経という文化自体がひっくり返るような話しなのかと思ったが、よくよく考えると、白川でも毎年易を立てていることを思い出し、その辺りの整合性が気になった。
ギャラクシー・コードの本には、白川でも毎年易を立てていることについて、以下のように書かれている。
・白川神道でも毎年正月に七沢氏が易によって一年の卦を出す。
・特別な手順によって立てられる易では、ほぼ100%正確な情報が得られる。
・2020年は「雷風恒」という卦が出た。
・雷風恒は一言で言えば「真理の幕開け」。さまざまな災害や経済的・政治的問題(雷風)が起きるかもしれないし、価値観を一変させるような事態も起こり得るが、それはすべて真理(恒)が花開く前触れであるという意味。
・2020年は、新型コロナによるパンデミックで、世界中の政治や経済が大混乱し、私たちの価値観も生活のあり方も大きくゆらいだ。それは、人類が真理に目覚めるきっかけに過ぎなかった。
・易を立てるのは、それに頼るという意味ではなく、あくまでも世界情勢を読み解くため。
・個人レベルでいえば、もう、どんな予言も成功法則も必要ない。なぜなら、これからあなたの発する言葉で淡々と現実が創られていくから。
このことと、先程の易経の真実を照らし合わせて考えてみるに、
易占自体は(公のための)未来の予測としては有効ではあるが、それは邪霊か悪霊によってではなく、本当の神の答えである必要がある(祓いで清まっている状態である必要がある)。
主体的意志を欠いた受身の状態で、神に決められる立場としてではなく、
あくまで自分自身が神として、意志を持って現実創造することが本来の正しい姿。
といったところだろうか。
ここで言われている“占い”というのも、本来の神としての法則性を生かす運命学や風水などのことではなく、霊の階層にいる何らかの存在による易やチャネリングの結果を元にしたもので、かつ、そうした主体的意志を削がれてしまう類のものを指しているものと思われる。
祓いなどで清まった状態での主体的意志は、本来の神としての法則性(=宇宙の創造意志)としての象意とも合致してくるということになるのだろうと思う。
ちなみに、講座のQ&A集の中で、人間に影響するものを「運命学」とし、
運命学は、「命・運・方・相」の順で影響度が大きいとするなど、
これらは占いという定義からは区別されているようだった。
人間に一番影響するものが「命運」という生年月日時間、
次に「方」の方位、方角、
最後に「相」の人相や家相、墓相が来る。
一番影響する生年月日は変えられないが、その上がないかというと、ある。
それが言霊であり、意志だとしている。
これは個人的に運命学を学んでいて二度目のブレイクスルーを果たした
「運命は決まってしまっているものではなく、自由意思が与えられていて、自分自身の意志次第でどうにでも変えていくことができる」
という概念そのものだった。
まじもの、天津罪、国津罪
ちなみに大祓の中に国津罪として出てくる「まじものせる罪」の「まじもの」とは、占いや魔術、霊能、チャネリングのことを意味しており、旧約聖書や新約聖書にも同様の記述があるという。
コトバンクによると「まじもの」とは、
1 まじないをしてのろうこと。また、その術。まじ。
2 人を惑わすもの。魔性のもの。
大祓では、「畜仆(けものたお)し蟲物(まじもの)せる罪」とあるので、ストレートに読めば、何らかの生き物を殺して呪いをかけることだとも解釈できそうだが(古代に行われていた蠱毒など)、
白川では、そこまでいかなくても、上で挙げたような人を惑わせる類のものも含めるなど、より広い意味で解釈しているようだった。
ただ、別の回答では、それぞれが「まじものせる罪」だと言っているわけではなく、それぞれ「神」とは別の階層にあるものだとし、
「神」の階層にある存在が、そうした別階層のテクニックを使うことを「まじものせる罪」としているのだという話しもあった。
つまり、次元が上がって神の階層になれば、そうしたものに頼る必要がなくなるということ。
単に占いや霊能と言ってもピンキリだと思うけど、ヒントにするくらいならいいけど、確かに人の人生を左右するようなところまで踏み込んでいるようなケースや、人によっては依存的な関わり方をしている例もある。
要は、そういう関係への警鐘ということなのだろうと思う。
また、よくスピリチュアルで言われる「○○星由来のスターシードが地球のアセンションをサポートする」というような話については、
元々人間という存在は、プラズマをはじめ銀河のあらゆるエッセンスから成り立っているため、他の星のエネルギーがそれに関与することはあり得る話だが、それらの情報は私たちの関心を外へ外へと誘導し、五魂の統合を妨げる側面があるので注意が必要。
だとしていた。
あえて占いや霊能などを「まじもの」として定義してるのは、
ある意味同業者が故のポジショントークも多少はあるのかなとも思ったが(この業界は他者批判からの自分のセミナー誘導のようなパターンも多い)、
神示などでも、
「霊媒は皆悪魔の罠に嵌って見失うておる」
「霊媒の者、狂わされること多い」
「靈はもう良い、靈憑りは疲れるだけ」
という話が出てくるので、
素人目から見て、神と霊の区別がつかない状況においては、
一律に「まじもの」としてしまった方が良いということなのかもしれない。
ただ、主体的意志を持つことから目を逸らすようなものは、何も占いや霊能に限らずともたくさんあるように思う。
例えば、人を惑わすもの、魔性のものだったら、魅力的な女性や男性だったり、アイドルなど芸能人だったり、
時には、やめられないとまらないかっぱえびせんだったり、ハッピーパウダーの中毒者が後を絶たないハッピーターンだったりもするかもしれない。
要は程度の問題な気もする。
大祓には、天津罪と国津罪が列挙されているが、
天津罪とは、間違えた考え方をすること。概念の罪。
国津罪とは、その間違えた考えによって起こした行動のことを言うのだという。
このことから考えるに、結局のところ、「何をするか」ではなく、「どんな考えでそれをするか」が問われるのではないかとも思う。
先のハッピーパウダーで言えば、「食べる人がハッピーになればいいな♫」と思って作っていたらただのいい人だが、
「これを餌にしてやめられないとまらないブクブク太った醜い姿にしてやろうか!」と、人の道を外れた考えで作っていたとしたら、それは天津罪からくる国津罪だと思う。
神人(ゴットメンシュ)とロボット人間
今で言えば、視聴率を考えてからか過度に不安を煽るメディアの情報などもそれにあたるような気がするが、
驚いたのが、それを真に受けてなのか、例の注射は2021年11月現在、日本の人口1億2664万人のうち、既に77.7%にあたる9838万人も摂取している。
(この記事を書いてる間に100万人増えていたので数字を訂正した)
個人的には、仕事柄、イベントで混み合う幕張メッセの最寄駅など含め、毎日20件近く混み合う飲食店に出入りしている。
この1年半の間も週1回は高校生とかで混み合う体育館でバスケとかもしてきたし、銭湯にもたまに行ってたけど、一向に罹る気配もない。
(ちなみに同じ空間にインフルの人とかいるとすぐ掛かるタイプ。一年にAとBに両方罹ったこともある。ただし、独立してからはほとんど風邪をひかなくなった)。
たまに配達先の玄関で、ICUばりのゴム手袋をした手だけニュッと出てくるのを目撃すると、かなり意識の差を感じてしまう。
テレビも見ないからコロナというものの存在を忘れかけてた身としては、9838万人という数字はにわかに信じ難いし、来るところまで来たなという感じがする。
メディアの情報を鵜呑みにせずに、主体的意志を持って、自らの肌感覚で多面的、客観的に情報を集めてそれぞれが判断していれば、このような偏った数字にはならないのではないかとも思うけど、仕事柄、実質的に打たざるを得ない場合も多いという。
働き方にしても、日本のサラリーマンの比率が1964年の東京五輪の時は半分ちょっとだったのに、今は9割以上。
さらに緩やかに増えていっていて、その一方で起業家は減っている。
そういう状況になると収入源も限られた依存状態になってしまって、立場も弱くなる。
メディアでは非正規の苦悩とか、長時間労働で過酷なUber配達員とか、作られた貧困像がクローズアップされたり、明らかに自営業に対するネガティブな印象付けも多いけど、
要はピラミッド型の組織構造に属することを促すためだったり、マスコミとか年収の高い自分たちの有利な世界にするための偏った内容をわざわざ頑張って流している印象を受ける。
一応自分自身、サラリーマンというか公務員として勤め人を10年以上やってから独立して、自営ともどっちも経験してる立場としては、独立してからの方が自分に合っていて全然楽だし、時間も自由で融通が効くし、収入もむしろ増えている。
最初の年から始めた事業が2ヶ月目で 売り上げが7桁行ったり、投資が当たったりと運が良かったというか(それは意図的にそうなるようにしたわけだけど)、自分で生計を立てるのは意外と簡単に思えて、勤め人をしてた時の自営のイメージとは全然違うものだった。
100万乗って2ヶ月目終了。
— sats(2020年ブログ記事用) (@surakbj) 2017年9月18日
こんな早く行くとは思ってなかった。
各地の弁財天は色々巡ったけど、
データを見ると特に8月22日、9月2日、9月10日に井の頭弁財天への参拝以降、明らかに売上が伸びてるのが分かる。こんな顕著に出るのか pic.twitter.com/h4A8UFGEom
かつての自分がそうだったように、働き方ひとつにしても実態と異なるイメージを植え付けられて、皆騙されてるように思う。
陰謀論でも何でもなくて、この国は歴史的に敗戦国なので、教育や情報などにおいて本来の力を発揮させないためのあらゆる手が打たれているということは押さえておく必要がある。
現在のコロナも含め、結局そんな感じで皆与えられた情報の中で思い込みの中にいるように見える。
ちなみに以前記事に書いた「ヒトラーの予言」では、
人類は少数の“神人”(ゴットメンシュ)と、多数のロボット人間に分かれるというような話があった。
2、3年前に記事を書いたが、改めて今回の記事と併せて読むと、そのことの意味も見えてくるかもしれない。
キリストの再臨、弥勒の下生
新約聖書には、ヨハネによる福音書の一番最初に、言霊を思わせる記述が出てくる。
はじめに言葉ありき
言葉は神と共にあった
言葉は神であった
万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった
キリスト、空海は言霊の教えを説いていた。
親鸞と日蓮が説いていたのは言霊の教えの一部。
元々キリストの役目は、旧約聖書に書かれた言霊の教えを次世代にもたらすことだった。
旧約聖書は言霊の教えになっていたが、なかなかその当時ユダヤ人が理解しきれなかったので、キリストがもう一回出てきて、新約聖書ということで教えを解き直した。
キリストの再臨という教えがあるが、言霊の再臨という意味。
聖書だけでなく、言霊学、日本の古神道の教えも明確に言葉は神だと言っている。
古事記と旧約聖書はほとんど同じことを言っている。
大祓にも旧約聖書と同じ表現が出ている。空海が唐の時代に恵果阿闍梨からもらった真言曼荼羅は、全部言霊の教え。
空海は「真言は一切法の母たり」と、すべて言葉でできていると言っている。
それで真言宗ができた。
真言密教は言霊の力を使おうとした(しかし日本人が使いにくいなど完成度がイマイチ)。親鸞の南無阿弥陀仏も、日蓮の南無妙法蓮華経も全部言霊。
言霊は仏教界である時代まで出していけないと言われていた。
親鸞とか日蓮は言霊を知っていたが、あえてその一部を出した。
まだ時代が早いということが言われていた。しかる時代にもう一度ブッダが下生するので、その時に出しましょうというのが仏教の隠れた教え。
今のこの現代がその時期。
ブッダが「56億7000年後に弥勒菩薩が下生する」と予言したことや、
日月神示では、「567」を「ミロク」と読ませていること、
そして、2020年の地球の磁場は、地球が物質化してから56億7000年目にあたるという説については、下記記事に書いた。
ヒンドゥー教でも、「言葉は最高のブラフマンであった」とある。
旧約聖書で、人々は元々同じ言語を使っていたが、慢心してバベルの塔を作ったので、エホバがすべての言葉をバラバラにしたとあるが、実はすべての言葉の元は日本語だった。
最初に言霊と聞いた時、数多ある宇宙法則の中の一つなのかと思っていたが、
講座を通して、法則の一つどころか、宇宙の根本原理そのもので、
これこそ、「ミロクの世」につながるこの世の大変革をもたらすものだということを確信することになった。
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