宇宙の法則の研究と実践

最近は方位学の検証事例をアップしています。

水と火で神懸かる

 

※この記事は2020年の学び(開運方位鑑定をやる理由)からの分離記事になります。

トピックが多かったので分けました。

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8月17日

申し込み締め切りが過ぎていた戸隠神社参拝講座の募集が、2日限定で追加募集が掛かっていた。
鑑定をこなした直後だったので、徳積みでチャンスをもらえたような気がした。

今回は参加することにした。

 

 

 

 

戸隠参拝の予習本として、羽賀ヒカル氏の【伊勢の神様】という本を紹介された。


本を開いて最初に目に入ってきたのは、

「左脳と右脳が繋がると、人が神様になる(かみがかる)」

という一文だった。

 

 

自分は五行的に火気が強い命式だけど、亥、子、丑年は水気が強まり、その中でも今年2020年の子年は、特に水気の強まる年でもある。

そしてその水気は、季節では冬季(11月亥月、12月子月、1月丑月)に向けて徐々に強まっていく。

五行的に言えば、火気が感受性など右脳的な性質を持ち、水気が論理性など左脳的な性質を持つ。

自分の中でも水気が強まっていくタイミングで、このような神的なイベントに参加するとこになるのは偶然とは思えなかった。

 

 

講座は、8月、9月、10月の3ヶ月連続で行われ、最後の10月に泊まりがけで団体参拝を行うものだったが、
その翌月の11月に「奥義編」と題して、別途申し込んだ者だけに「神法」が伝授されることが予定されているようだった。

 

 

 

北極老人は、話しを聞く限りかなりの能力者に違いないと思っていたが、
奥義編とされる内容は「その瞬間にしか降りない神法」というだけに、自分にとっても重要なものになるのではないかという予感がかなりしていた。

そして、この奥義編の日程が、丁度11月の節入りの日にあたり、自分の命式的にも水気が最も強まるタイミングだった。

 

 

 

自分は、かつて“神がかり”を起こした人物たちの命式を見ていて、一つの法則性を発見していた。
宗教の元になった教祖や神示を降ろした人物などが、いわゆる“神がかり”にあった時期を調べてみると、
年運や大運の助けを借りて、命式の中でこの水気と火気がぶつかりあうタイミングだったことが多かったのだ。

これは、左脳が水気、右脳が火気と捉えるとすると、
羽賀氏の「伊勢の神様」の本にあったとおり、

「左脳(水)と右脳(火)が繋がると、人が神様になる(かみがかる)」

ということに繋がる。



以下は干支の知識が必要になってくるが、少し解説すると、
天干(十干)では壬癸が水気、丙丁が火気を表し、
地支(十二支)では亥子丑が水気、巳午未が火気を表す。

 

 

中山みき天理教教祖) 

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天理教の教祖だった中山みきは、元々日干壬水で巳月、午年生まれの火気が強い命式。
40歳の時に憑依現象が起きたが、丁度39歳から水気の旺じる大運に入っており、強い火気と水気のぶつかり合いが激しくなった時期だったことがわかる。

 

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引用元

中山みき - Wikipedia

 

 

岡本天明日月神示を自動書紀した)

日月神示を自動書記によって降ろしたとされる岡本天明も、火水が強まった時期に自動書記現象が起きている。
以下その時の記録の引用

昭和19年(1944年)4月18日に、太平洋戦争も終盤の頃、東京・原宿の某所にて、日本古代史を研究する有志が集まり、
扶乩(フーチ)と呼ばれる中国古来の占いを行った。
日本古代の謎を問うと共に、今後の戦局を占うことが目的だった。

扶乩(フーチ)とは、神霊を招いてその神意を聞くもの。
審神者役(さにわやく)の者が、感応して来る神霊と問答を行う。
審神者役というのは、文字通り神を審(つまび)らかにする役目。
こう言った神降ろしでは、どんな神が降りて来るかわからない。
低級な動物霊やよこしまな考えを持った霊が、たぶらかしてやろうと降りて来る時もある。
それを見極め、また神の答えを読み解くための審神者役には、経験を積み知識もある人物である必要がある。

審神者役を務めたのが、東京千駄ヶ谷鳩森八幡神社で留守神主をしていた岡本天明だった。

扶乩(フーチ)を行った際、
「天ひつく」「日月のかみ」「ひつきの神」「天之日月神(あめのひつくのかみ)」などの文字が記された。

数日後参加者の一人が岡本天明の元へ駆け込んできて、千葉県印旛郡公津村台方(現在の成田市台方)に、麻賀多神社末社として「天之日津久(あめのひつく)神社」という社が見つかった。

2ヶ月ほど経った時、岡本天明は知人の誘いで公津村に訪れることになったが、
神霊のお導きでもあろうかと持った岡本天明は、知人と別れた後、一人天之日津久神社に参拝した。
天明の本職は画家だったため、出歩く時は矢立と画仙紙を持ち歩くのが常であり、この日も携えていた。

参拝を終え、社務所で休んでいた時、突然天明の右腕に激痛が走った。
感じるところがあり、とっさに筆を取り画仙紙に乗せたところ、右腕が勝手に動き出した。
すごい勢いで、文字とも画とも判別つかないものを書き始めた。

以後、この突然の腕の痛みと筆の走りは、16年間にわたり断続的に続いた。
神意の書き出し役を務めきった生涯だった。

このように岡本天明が書き残してくれた文章を、今日では日月神示と呼ぶ。

 

引用元
日月神示について 意外と話せる神様でした - YouTube

 

 

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岡本天明は、日干丙火で、亥月生まれの水気の強い命式。
三柱(時柱無し)で見る限り、火気に根は無く弱い。

扶乩(フーチ)に神示があった1994年4月18日は、水気が強い日で、
48歳だった天明の大運は、火気の旺じる運気だった。

また、日月神示の自動書記が始まった1944年6月10日は、火気の強い日だった。
このケースも火や水が強まり、ぶつかり合ったタイミングだったことがわかる。

 

 

 

植芝盛平合気道開祖)

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合気道の開祖で知られる植芝盛平は、日干壬水で、子月生まれの水気が強い命式。

植芝は1940年(56歳)から数次にわたって神示を受けたが、大運で火気が旺じる運気だった。
こちらも命式内で火と水がぶつかりあった時に“神がかり”が起きている。

 

神示を受けた際の詳しい経緯

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引用元
合気道開祖の教え|神示

 

 

 

植芝盛平は、合気道の開祖として知られるが、大本の実質的教祖だった出口王仁三郎と出会い、大本に入信していたことで知られる。
王仁三郎と共にエルサレムへ向かったりするなど、大本の幹部として関わっていた。

 

 

 

この植芝盛平の合気と、自分が習得した方位鑑定の理念は被っている。 

 

 

 

水と火で神懸かった例を紹介したが、水火剋戦で書いたように表れる場合と、神懸かる場合があるようだった。

 

ちなみに自分の場合は、命式の構造上、子年に水気が強まるが、

24年前の子年は、振り返るとかなり情緒不安定だった記憶があるが、深夜に、物凄く重い岩のような人間?に抱きつかれる金縛りにあったりした。

12年前の子年は、バイクで転けてムチウチがなかなか治らなかったり、他にも様々なトラブルがあった(その時は緑の厚手のダウンを着ていて見た目は擦り傷程度だったけど、そのダウンがボロボロになった)。

そして2020年の子年は、水火剋戦を避けるために、水→木→火と相生で流れるように、木気カラーの車を選んだり、方位でも木気を重点的に取るなどしていたが、
2019年11月、12月、2020年1月、2月、12月と、軽くではあるものの車をぶつけるなど事象が出た。
ただ、方位効果もあってか、24年前、12年前と比べると今のところは平和に乗り切れている(まだ水気の強い冬季を抜けてないので、油断はできない)。

何より木気は、火気からすると印星という学びの星でもあるので、意識してきたことで学びの面で充実したことはよかった。

 


神懸かったかどうかは、後に続く記事に書こうと思う。

 

 

 

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